消防署の職員さんが

うちの店を調べに来て

改善報告書を送ってきた。

防火管理しを選任して

消防計画を作成してくれと言う事だった。

 

そこで妹おばちゃんの旦那さんが

行きたがっていたけれども

そこを僕が行くと言う事にして

行って来た。

 

やってもらうのが楽なんだけど

なんでもかんでも彼にやってもらうと

僕の存在がちょっと・・・だからね

 

厚木からちょっと離れた川崎で

大体どれくらいかかるのかよくわからない

ちょっと早めに出た心算だったが

丁度良かったね。

 

昼休憩の時に携帯で記事を読んでいたら

興味深い記事を見つけた。

 

僕が事故に遭った時と同じくらいの年齢で

弟を乗せて自転車で送って行こうとしたら

事故に遭って20日間意識不明で

奇蹟的に回復できて3ヶ月の入院ののち

学校に登校できたという事だった。

 

しかし体に障害が残っていて

以前は優等生だったのが転落していて

よく遊びに行っていたお宅の親御さんから

もう遊びに来ないでねと言われたそうだ。

 

僕は20日間意識不明と言う所や

3ヶ月の入院という所や事故に遭う前の

様子なんかが非常に僕に似ていて

同じような状況になった人がいるんだと

興味深かった。

 

このままじゃ人生詰んじゃうよと思って

必死に生きて来た所も同じだ。

 

ネット社会になって

こういう他人の人生を垣間見て

僕だけじゃないんだとか

感じることができるようになるとは

想像もできなかったね。

 

僕の場合

僕が戻って来たとき

僕が障がい者になったからと言って

それまでと違う態度を取られることはなかった。

というかそれまでが壮絶な人生だったから

むしろよかったと感じたりしたんだ。

信じられないことに。

 

みんなからきたなーいといじられていたんだけれど

それが一切なくなった。

家に帰るとビシバシひっぱたかれながら勉強をさせると言う

父親の暴力も無くなった。

交通事故に遭う前はどこに行っても安らぎと言うものを

感じたことはなかったね。

あの頃は本当に自殺を考えたりした。

しかし僕が死んじゃったらどうなるの?と考えて

お父さんはとにかく、お母さんとと妹たちが悲しむだろうなとか

僕をいじる奴らが笑うだけだよなとか

小学校低学年なのにみんなそこまで考える?

そして、むしろ僕が死んじゃったらみんなが悲しむような

人間になってやると心に決めた。

 

そう思っている時に交通事故だからね。

車が走って来てるのに

あの車は子供が道路を横断するのを見たら止まってくれるだろうと

父親は勝手に思い込み自分の車の陰から僕に道路を渡らせた。

結果、前方不注意だった会社員の車に僕ははねられたんだ。

僕の人生の邪魔をしたのは父親だね。

 

司法試験に受からなかったのはお前が勉強しなかったからだなんて

父親は昔は言っていたが

俺をかたわにしたのは自分だろと僕が反論すると

黙るようになった。

 

失くしたものは大きかったね。

僕が事故に遭わずに普通に生きていれば

自分の才能で生きる人間になれてたかも

そう考えるのが楽しいね。