ばあちゃんの容体はどうなのか
妹が明日看護婦さんに聞きに行く事にした
そのように約束したところ
病院の方から連絡があり
お医者さんが直接話があるという事だ。
ついにその時が来るのか
妹おばちゃんも看護婦さんに話しを聞きに行くなんて
言いださなければまだ少し
回復の機会が与えられているかもしれない
しかし八十八の老婆だから
もう直る体力がないという事で回復の機会なんて
あっても無駄かもしれない。
出来ればもうみんなのためにちょっと頑張って欲しいが
無理ならもうどうにもできない。
大病を患いながらも両親何とかしっかり
毎日仕事や家事をやってくれてます
そう言いながら生きて来た僕は運がよかった。
離婚してシングルになっても
子育てをばーちゃんに手伝ってもらえたし
ばーちゃんは2回子育てをしたようなものだ。
今から半世紀前の事
息子の僕が交通事故に遭い
二十日間意識不明で
近所の人は
もうあそこの息子ダメだってようと噂して
学校の先生も
もうあの子は死んじゃうなと思ったくらいだった。
奇蹟的に回復したけど
いろいろな才能に恵まれていた僕は
障害者になっていた。
そんな子供を見捨てないで
せっせと看護して病院に連れて行ってくれたと思う。
僕もその恩に報いるために必死だった。
動かなくなった右腕で必死に勉強した。
使い続けると熱を持ってくる
そんなときはいつも水道で右腕を冷やしたのを覚えている。
僕は頑張った。
そのことはお母さんに感謝してもらえると思う。
身体障害に悩まされながらも
天下の早稲田大学法学部に入ったし
妹が統一教会に入ってしまって誰もできなかった説得を
僕がしてきっぱり脱会させた。
妹はそんな過去を彷彿とさせないくらい立派になった。
まだまだお母さんが僕に感謝してもいいことは
いろいろあると思うけど
僕も妹たちもお母さんには感謝し足りないくらい感謝している。
うちは幸せな家族だったと思う。
貧乏で満ち足りなかったことはたくさんあったけど
お母さんの働く姿は今も目に焼き付いているし
僕もそうあらねばと思っている。
戦争で小学校も卒業できなかった人だった。
大学の卒業式の日に一緒に連れて行ってやらなかったことが
悔やまれる。
司法試験に受かって司法修習の時に連れて行ってやろうと
思ったけど、受からなかったので達成できなかった。
その時々で一番いい選択をすればよかったと思う。
お母さん、ご苦労様でした。