強制執行は敷地にめぼしい財産が無くて

失敗した。

執行官は執行するからには経済価値が無ければ

執行は認めませんという事だった

確かに参考にはなったけど

される相手はやっぱりこういう事に熟知してるのか

尻尾をこちらにつかませるような事はしなかった。

 

父親の強制執行に付き合ったとき

父親が「こんなことでやって来たけど

ここは本当はいい場所なんだよな

大友皇子の墓があるんだ」という

 

「大友皇子(おおとものおうじ)?

壬申の乱(じんしんのらん)の?」

というと「そうだ」という。

 

伊勢原の山奥だけど

どうしてこんなところに大友皇子がいたの?

皇子のお墓はほんの目と鼻の先だ。

 

今は春でそんなに草も生い茂ってないが

皇子のお墓があるにしては

目印の道標があるだけだ。

今でこそ、山歩きの人が散策できるような

細い道が整備されているが

大昔じゃこんな山奥まで来るのは大変だったろう。

 

皇位を争った罪人だから隠れるには

もってこいの場所だったという事か

あんなところに大友皇子の墓がある理由を

帰ってネットで調べる。

 

チビの社会の歴史の勉強で

壬申の乱が出て来た

天智天皇の息子大友皇子と

弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)が皇位をめぐって争って

大海人皇子に敗れて

大友皇子は処刑された

しかし身代わりを立てて

大友皇子は関東に落ち伸びたという

伝説があるのだそうだ。

 

凄く驚いた。

 

千葉県にももう一ケ所

大友皇子のお墓と言われる場所があるんだって。