月曜日
朝、チビを保育園に連れて行くとき、僕が使う草刈機が二つにへし折られて半分になって打ち捨てられていた。柄の先に回転刃が付いているが、使い物にならない。こんなわかりやすい嫌がらせを朝倉はやるだろうか?でも、やるんだよな。あの夫婦は。よくそんなことを思いつくなと言う事をよくやって来た。大体、うちの草刈り機だ。何で、あいつらにへし折られなければならないんだ。証拠さえあれば器物損壊と言う立派な犯罪だ。
家でそのことを言うと、父親も母親も信じなかった。反対に、僕の「管理が悪い」という事になって、「別の人間がいたずらしたんだろう」という事になる。
保育園にチビを連れて行く。息子さんのトビヒが酷くなっているようだからと、小田急某駅南口の皮膚科を紹介される。やはり、保育園のお子さんで「トビヒが直らなかった子がいるが、専門のそこに換えたらトビヒが快方に向かい始めた」と言う。そして、そのお子さんを連れてきてくれた。
「すぐに連れて行けますか?」と聞かれたが、「今日は用事があるから」と言うと、「夜の7時までやっているから、もしよければ」と勧めてくれた。
帰ると、代田さんが、養子縁組の手続きに同行するために来ていた。
昨日の大叔母と僕と父親の会話録音テープを聞いて、僕のいうことに納得していた。「お父さんはもう体が動かんから手間を惜しんでばかりいる。息子さんのいうとおりだ」とか言っていた。息子さんと言うのは僕のことだ。
早速、僕と二人で市役所に向う。代田さんは、「自分の普段使う道は信号がないから早く行ける」と教えたがった。父親が「息子にはあまり知識がないから」と言うのを真に受けてなんでも教えたがる。訴訟のことも「実務のことは私の方がよく知っている。私はよく通ったんだから」と言っていた。しかし、それは彼が自分を買いかぶりすぎているだけだったのはあとでわかることだ。
窓口では戸籍係りの佐田さんに会いたがったが、今日はいなかった。
養子縁組届出書を提出する。本人が書きこむ場所は、たった一つの空欄だけ。書類の提出は養父母本人がするわけでなく、委任状もない他人が出来てしまう。手続きが済んだ後に通知が本人に送られてくるが、それで不正が分かったとしても訂正するのは簡単ではない。
手続きを済ませて、次に郵便局に向う。大叔母のところに送られてくる養子縁組確認通知で朝倉に知られるのを防ぐため、住所変更通知により大叔母のところへ来る手紙をうちに送らせるようにするというのだ。
僕は「通知で知ったからと言って、相手も有効な対策は取れないのだからそこまで必要ない」と反論したが、僕の言うことは素直に受け入れてくれない。「裁判になったとき、ここのところが問題になるかもしれませんよ」と言ったが「大丈夫、訴訟は私の方が知っているから」と、ごり押ししてくる。父親と話し合って二人でそう決めていたのを知っているから、結局その通りにさせてやった。
僕は、このことをどういう風に片付けるべきか悩むことになる。確かに朝倉に知れたら大叔母はしばらく責められるだろう。
帰ってくると、父親は代田さんに神妙に挨拶した。
長年の夢だった、僕の本家への養子入籍が、代田さんの多大な協力で今日果たせたからだ。
保育園から連れ帰ったチビを連れて、南口まで母親に送ってもらい、駅近くの皮膚科に行く。受付でもらった問診票に記入した。先生はそれを見ながら質問をしてくる。ゲンタシンを塗って軟膏がべったり塗ってあるシートをその上から貼り付け包帯で押えるというのを勧められた。腹とか胸とかに発疹が出ているがそれは抗生物質を飲ませ対処するらしい。
いつもの日常に戻ったが、心中は晴れないままだった。これがただで済むはずないだろうと。しかし、あいつらの不正入籍ははっきりしているし、大叔母の為を思ってと言うのもまんざら嘘ではない。代田さんに感謝したらいいのか悪いのか、とにかくだんだん迷惑な存在になって来たことは確かだった。