よく話に来るおじさんが

お孫さんの話を聞かせてくれた

 

僕が出た大学の建築学科で

NPOで東南アジアに行って建物を建てているんだって

「へ―、すごいですね

日本の援助でそういうものを作ればいいことです」

そういうと

「いや国からは一切お金をもらってないんだ

みんな手弁当で行っている

その代わりそれが大学の単位になったりするんだよな」

だって

「理系は企業からの引き合いも多い」んだそうだ。

 

そして僕のことを引き合いに出して

「○○大学出ても

店しかできなくなっちゃうのもいるし、と言ってしっかりやれよと言っている」

そう言うんで

「僕を悪い例にしないでくださいよ」と怒る気にもならない。

 

確かに、僕がこのおじさんから学ばせてもらった事は多い

うちの父親は、何でも我流で参考にならなかったから。

だから、少々のことは我慢して聞けるのかもしれない

 

うちのちびのことに話題が移ると

「これからはパソコンとかそういうものが普通に使えないといけないな」

とか言い出すので

「僕も、そう思ってこの前東大でやったプログラミング教室で

JAVAを習わせてきました」と言う。

親ばかだけど、中1でそこまで理解している人間は

少ないと思う。

 

ついこの間も、大学生のお孫さんが、コンピューターを使って勉強しているというから

「うちのちびもパソコン組み立てているんですよ」と言ったら言葉に詰まってた

 

 

そして、チビの宿題を手伝うために国立科学博物館に行ってきました。」

というと「それはいいことだね。そういうところに行って

いいものをたくさん見せてやるといいね」と答える。

 

「そういえば国立科学博物館では妹の旦那のオジサンが

マイクロプロセッサーの開発者として展示されてるそうですよ」

と言ったら

「同姓同名でそういう人もいるんだよな」と

なんか信じてないみたいでおかしかった

 

あまりに突飛で信じられないよな

僕も最初は信じてなかったから。

妹おばちゃんのお義父さんの

世界的有名人もちらほら出てくる

パソコン草創期のどす黒い人間関係の話を

普通に話しているのを聞いて

あの話は本当だったんだとはじめて納得したくらいだから

 

よく来るおじさんは

「身内に中国でIBMの工場長をやっている人がいて」と言う話を

よく聞かしてくれたけれど

 

マイクロプロセッサーの開発がそもそもの始まりだったわけで、

みんなはその恩恵を受けている

でも、そもそもの最初は日本人が開発していたんだから

それはうれしい

 

なんとか賞も取り沙汰されているそうだけど

本人は健康に優れなくなったのか

親戚の集まりにも来なくなったそうだ。

 

自分の甥と僕の妹の結婚式には来てくれていたという。

もう20年以上前の話。