もう100歳になる大叔母の土地屋敷

誰があとを取るかでもめたんだ

 

特に先鋭に対立してたのは

うちの父親と父親の従妹

当然の如く裁判になった

その過程で向こうは心細くなって

自分の姉も引き込んだ。

 

原審では養子縁組はみんな有効と言う事にされた。

しかしあちらの親戚連中が大叔母を取り囲んで

養子縁組を強いたという事がわかっているから

うちは控訴したんだ

 

結果はすべて裏目に出た

 

原審の裁判官は当事者の表情を

有りのままに見ているから

これはあちらの言い分をそのまま採用できないと

判断してくれた。

 

しかし、

力づくでほかの親戚を蹴散らして

介護して来たあちらが

介護の実績があるという事で

認められたんだろうね。

高裁ではひっくり返ってしまった

 

僕もうちの弁護士もその辺のところまで

考えていなかった

 

最高裁はよほどのことがなければひっくり返らない

僕はもうあそこの家には行くのをやめた。

 

ちなみに僕が大叔母さんから可愛がられていたから

養子に入ってあいつらと戦ったのは僕だった。

親の世代の相続争いに巻き込まれただけだけど

いろんなことがあったな

 

大叔母は昔教師だった

その教え子が80のおばあちゃんになって近くに住んでいる

うちに同情的で、うちの父親と話をしていた。

父親は「正義に反する裁判の結果を何かの形で世に問うてやる」

とか言っている。

 

「自分が投書すれば新聞やテレビが殺到するぞ」とw

 

僕は息巻く父親に「もうそれは無理だ」と言って諭す。

裁判と言うものの印象が当事者になって見て

分かったような気がした。

 

正義なんてのは絶対のものじゃなく

妥当だと裁判官が思う結果がそうなのであって

そこに至る過程を法律で理屈づけるだけなんだなと。

 

特に家事審判なんてどの家にも筋の通った言い分があるし

訳の分かんない人ばっかりの事もあるだろうし

裁判官が後見的見地に立たなきゃならないことは多いだろう

 

でも、法律で理屈づけなきゃならないから

まるっきり不当な結果にはならない。

 

その限度で民意が反映しているし、

それで紛争を解決すると言うのが司法なんだなと

 

むろんこれは民事に限っての事だけど。

 

刑事は罪刑法定主義があるからね。