ルイスは、いつにも増して話をしたがりました。
彼は、「ペルーは、貧乏で、仕方のない国だ」と言っていたそうです。今、世話になっているルイスの叔母の家族は、皆、警察に努めているが、警察官一人の月収は、200USドルに過ぎない。多くの人は、日々の食費もままにならない。それほど貧困がはびこっていると。
そして、ルイスは、続けました。「自分は、日本からペルーに帰国した時、逮捕された」と。
びりー君はびっくりしました。「Porque?(なぜ?)」と聞いたそうです。
拙いスペイン語と、日本語と、ほんの少し英語の助けを借りてびりー君は彼からそのわけを教えてもらいました。
彼は、ペルー空軍の将校で、戦闘機のパイロットと言うことで、ミラージュ戦闘機を操縦していたそうです。「戦争に出たことはないが、戦闘機部隊のキャプテンとして対ゲリラ作戦を指揮していた」と言うことでした。ゲリラ撲滅と言う任務を遂行するために上空から機銃掃射などと言うこともやらざるを得ませんでした。
しかし、やがて、彼の存在がゲリラ集団にも知れ渡ることになりました。そして、ゲリラに命を狙われることになりました。危険は彼ばかりでなく彼の家族にも及びました。彼の妻には小包爆弾が送られてきました。当時5歳だった彼の息子は、胸から脇腹を貫通する銃弾を受けました。
そこで彼は亡命を決意したそうです。
まず、親せきを頼ってチリに出国し、次いで、アメリカに亡命しました。アメリカは、快く彼の亡命を受け入れてくれたそうです。ペルー国内の政治的経済的安定はアメリカの国益にもかない、そのために身を捧げている人間をないがしろにはできないということでしょうか。それに彼は一流の技術者です。
そうではあるものの、アメリカも、当時は財政難に苦しんでおり、最低限の彼の生命身体の保証しかしてくれなかったそうです。亡命中もペルー空軍から給料をもらっていましたが月額US200ドルにすぎず、とてもペルーに残した妻と子供達を養ってやれる額ではなかったということです。
そこで、多くの同胞がお金を稼いで戻ってくるのを見聞きして、働きに行くならニッポンと心に決めたそうです。
ニッポンも、快く彼を受け入れてくれたそうで、彼は非常に感謝していました。
そして、貧困から来る生活の圧迫、スリ、強盗などの犯罪、そういったものから解放された世界、少なくとも表面的にはそう見える世界に、彼は目を見張り、そして、好きになったということです。
そして、一所懸命に働き、自分たちを育ててくれた祖母、自分の愛する妻、さらに愛しい子供たちのため、故郷に家を建てました。「家を見せたいからぜひ来てくれ」と、それがびりー君が今回呼ばれた理由の一つになったのですが。
しかし、亡命中、アメリカから日本に出稼ぎに行くことは、ペルー空軍は認めてくれていませんでした。そこで、ペルー警察に、逃亡(エスカぺ)という罪名で逮捕されてしまったと言うことでした。