これは、びりー君が20世紀の終りごろ、7月1日から23日まで南米旅行した時のお話しです。


びりー君は、南米のペルー・ボリビア・チリを、日本で知り合った出稼ぎペルー人ルイスの案内で旅行しました。そのときの思い出を語ってくれました。


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いつのことだったか、そんなに昔の事ではないですが、彼が出先から帰ってくると、ルイスはいたそうです。びりー君の家はぼろいマンションで、日本人の居住者は、みんな出てしまい、空き家だらけでした。


丁度、そのころ、昔、ペルーに、日本はお世話になったし、大統領も日系人だということで、日本は、多くのペルーを中心とする南米の国から出稼ぎ労働者を受け入れたのです。

 

びりー君の家のマンションは、今度は日系ペルー人であふれかえりました。

 

 日系人の出稼ぎを認めるという建前でしたが、ルイスは、日系と言うには無理があるほど色が黒かったそうです。その前から近所に住んでいたペルー人と一緒に、店先でびりー君の親と話をしていました。


 ルイスの身長は、それほど高くはありませんでした。 しかし、かなり太っているので、大きな感じだったそうです。そのころ活躍していた相撲取りの小錦に似ていました。直立不動で、妙に姿勢は良かったそうです。

 とにかく、初めて見るタイプのペルー人だったと言います。びりー君は、軍人みたいだなと思いました。軍人なんか見たことはないくせにそう感じたそうです。


 でも、「軍人がどうしてこんなところにいるんだ」 と、自分でもおかしいなと感じてその考えは捨てたそうです。

ルイスは、とても朗らかで、妙に人懐っこかったそうです。


 びりー君ががこのとき感じた印象は、実は正しかったことを、びりー君は後で知ります。 彼は軍人でした。こういう初めて見るタイプの人には、何となく、誰もが警戒感を抱いてしまいます。びりー君も、そうでした。しかし、これについては全く必要がなくて、その陽気な雰囲気に、周りはいつも笑い声に包まれて、楽しかったと言います。


ルイスは、鉄工所で働いていました。帰ってくると、いつも、びりー君の店に寄って雑談をするのが大好きでした。


 びりー君は、はだいぶ太り気味だったので、よく、親から運動を進められていました。ジョギングをやるのがひところの彼の趣味でしたが、それをやめてから、しばらく経っていました。 

 

そのとき、ルイスは、びりー君が、親から 「走って来れば」 と勧められているのを見て 「ワタシ アナタト ハシル」 と言い出しました。そして、ついに、その週の日曜日に、一緒に走ることを約束させられてしまいました。


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日曜日、約束通り、びりー君は、ルイスとジョギングをしました。


一緒に走り始めたは良いが、明らかに日本人じゃない彼と地元で走るのはどんなもんだろうと、びりー君は考えてしまいました。「出稼ぎペルー人とジョギングするというのは、そんなにかっこいい事ではないような気がした」と言います。


 少し覚えたスペイン語で、びりー君は、ルイスに言いました。「アセモス フティング アル モンテ、 オーケイー?(山まで走るよ。いいかい)」そう言って、びりー君は、新川べりの道を、少し離れた野球場のある山まで走って、それから戻って来ようと思いました。


 しかし、ルイスの太った体には、持久力が備わっていなくて、途中で彼はばてて走れなくなりました。びりー君が「せめてあの橋のところまで走ろうと言ったのにもついてこれなくて、申し訳なさそうだった」と言います。


「こうやって走ったのは3年ぶりだから、ちょっと体が付いて行かなかった」と、ルイスは、情けなさそうに話しました。3年前には何か体を使うようなことをしていたのかな?と、びりー君は思いました。 

 

すると、彼は、「実は自分は軍人なんだ」と話し出したそうです。


 「5年間休暇をもらっていて、日本にいる最後の1年間だけ、ここに働きに来た」と言うことでした。国では戦闘機のパイロットをやっていて、戦闘機部隊の指揮官だったそうです。


 これには、びりー君も驚きました。びりー君は、例えば、トムクランシーとか、フレデリックフォーサイスとかの小説を読むのがとても好きでした。まさに小説の中から出てきたような人間と一緒にいたわけで、彼に対する見方が180度変わる瞬間でした。