テッド・バンディ | 晴れ、ときどき観劇。

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自分に踊らされた男

 

 

 

 

見てまいりました。


もっとね、なんというか、ライトな…というか娯楽作品なのかな~と思って見に行ったんです。
クライムサスペンスみたいな。でも、そうじゃなかった。


テッド・バンディが”普通の人間”として仮面をかぶって生きていた、普通だと思って愛した男が凶悪な殺人鬼だった女の恐怖と心の揺れ。
最初は自分自身でも殺人を犯していないと信じ込んでいるかのようなテッド・バンディの芝居が、だんだんと殺人と法廷のゲームを楽しんでいるだけになっていく狂気。
劇中テッド・バンディの犯罪を普通に扱ったならもっとショッキングになるだろうに、犯罪にまつわるパートがかなり削られていまして、実在の犯罪をテーマにしているだけに被害者遺族感情を意識してセンセーショナルな描写を伴わないよう細心の注意が払われていることを感じました。現代だわ…。


なんというか、直接の描写じゃないので私の受けた印象なんですけど、世界でも稀に見るシリアルキラーは犯罪の特殊性ゆえに犯罪者予備軍の中でヒーローのように祀り上げられることがあるというのを前提として、そういう人たちやテッド・バンディ自身が信じたほど彼は魅力的でもなければ頭が良いわけでもなかったのだと冷徹に暴き出すような、そんな作品でした。
けれど表層的には彼をチャーミングでイノセントな被疑者と見る人もいれば、彼が実際にどんな犯罪に手を染めてきたか本当の意味で理解せず”彼の獲物になりたい”という愚かな願望を抱くような女性たちもいて、対する判事の冷静さ、本当の賢さとの対比も面白かった。
判事は最初からテッド・バンディが犯人だと確信していて、まあ結果的にそれは正しかったわけですが、あれだよね…科学捜査が全く機能していなかった時代の状況証拠だけで犯人と断定するやり方には恐ろしさを感じますよね。
それでも彼らが確信を持つくらいには状況証拠がありすぎるほどにあったのでしょうけど…。

 

あと、リズに捨てられたテッド・バンディが外界と繋がるため、自分が普通の男であることを世間と自分にアピールするために自分に好意を寄せているキャロルを口説く、あの感じが素晴らしかったなぁ…一切「好き」とも「愛してる」とも言わないんですよ。観客には口先だけなのがまるわかりなのに、キャロルは騙されるんだもん。彼女の浅はかな感じも上手かった。

 

ていうかね~~~

 

思うんですよ。いま私33歳じゃないですか。
婚活してた(あれは「していた」とは言わないけどw)じゃないですか。
メッセージのやり取りをする、実際に会う相手が犯罪者である、サイコパスである可能性ってずっと考えていたんですよ。
例えば会社の同僚くらいの間柄でも、その人がモラハラDVかどうかまでは分からないケースが多いのに、出会うために出会った人がどういう人間なのか本当に知るのは難しい。そんな相手と付き合う、ましてや結婚するなんて…怖いですね。やっぱり。笑

まぁ私もある意味でサイコパスだから相手の方が怖い思いをする方かもしれないけど…

 

ということで、ますます他人と結婚とかありえねーな。と思った宇田川でした。クリスマスイブにね!

 

では、次こそお茶会について書けるかな…最近忙しくて…

 

ではでは