2020年01月22日(水)
昨日(01/21)は ライバルが手を結ぶ日 だったそぉーですが
ライバル って何どぉー言う意味
ライバル とは………
同等、若しくは、それ以上の実力を持つ 競争相手の意味。
(Wikipedia より引用)
ライバルが手を結んだ日 の 由来は………
犬猿の仲 の 薩摩(現:鹿児島) と 長州(現:山口) が
同盟を結んだ、所謂 薩長同盟が締結 した日
に因んでるそぉーですが………
では、なぜ 遺恨 を持っていたのでしょうか



とある 政変 で 長州 が外され 京よりの退去を命ぜられた
この沙汰を、不服とした 長州藩士 らは、
密かに 京に 潜伏 していた。
この情報を聞きつけた 新選組の隊士 らは
不穏分子 が、良からぬ企みを企てている と判断し
潜伏先であろう宿 を 襲撃した。
後に云う 池田屋襲撃事件 である。
この知らせを聞いた、長州藩本国は、
怒り狂った

『おのれ 新選組 許すまじっ
』


『直ぐに同志達の 仇を討つべく 出兵じゃっ
』

しかし、コレを聞いた 薩摩藩 は
薩摩『まぁぁぁ~~~待て………
気持ちは分かるが………
退去を命じられたのに、ソレに従わなかった
おはん らにも 非 はある………
ソレに………そんなに 大軍 で押し寄せたら
相手(幕府)側も本腰を入れて応戦する………
そうなれば 大戦 になる………
大戦 に成れば、一番被害を被るのは 一般庶民じゃ』
長州『大戦
上等だっ


我らは、例え相手が大勢であろうと 恐れはせん。
そんな事よりも………
仲間達の 無念を晴らしてやらねば………
武士の名折れ………』
っと 襲撃を決行した。
っが………
蛤御門前直前で………
薩摩・会津の連合軍 が、コレを待ち伏せ、撃退した。
後に云う 禁門の変(蛤御門の変) である。
コレが、仲違いの原因 と云われています。
しかし、討幕 を果たすには、両藩 の同盟が不可欠 だったので
会談の場 を何度も設けようとしますが………
長州 での開催………薩摩側が長州に出向くも、
直前で、木戸に急用が出来、破断
薩摩 での開催………西郷が行方不明 で破断
※薩摩 での件は………西郷が暗殺を恐れた為 との説もある
コレでは、埒が明かない と 一介の 無所属新人
坂本龍馬 という 浪人 が 仲裁に入った
『おまんら、それじゃ~~~埒が明かんき、
お互いの国 じゃのぉ~~~て………
事の発端 である 京 で話しようぜよ』
っと言う事で 京 の 一条戻り橋付近 にある
小松帯刀邸 にて、会合が開かれ、同盟が締結された。
でも………凄い と思いませんか





(
えっ
何がですか
)




今でこそ 国 と言えば 日ノ本 日本全体の事 ですが
昔は、自分の地元 藩 こそが 国 であった。
犬猿の仲 の 国と国同士 のイザコザ を
一介の浪人 が 取り纏めてしまう んですから………
(それだけ 坂本龍馬 という方が 凄い と言う事じゃないですか)




昔から、誠しなやかに囁かれてる噂………
坂本龍馬 = 明智光秀 の子孫説
本能寺の変 = 陰謀説(秀吉・家康・光秀 が繋がってた説)
四国と九州は、
(秀吉繋がりで)長宗我部 と 島津 が繋がっていた。
長宗我部
四国制圧
秀吉が四国を制圧


島津
九州制圧
四国軍を率い秀吉が九州を制圧


四国・九州軍と共闘し、中国地方を秀吉が制圧
後は………信長だけ………
明智・秀吉・家康が共謀し、信長を討ち取る(
)

※ほんまに、信長は死んだのかは不明
光秀軍 が 山崎まで逃げて来た理由は、
四国へ逃走する為で、ソレに中国勢が手を貸した………のでは

※光秀は四国との仲介役で、親交が深かった。
つまり………坂本龍馬 = 明智光秀 の子孫説 が誠ならば
薩摩 と 長州 との繋がり(敬遠の仲 の2つの藩の仲裁)
一介の浪人 が 将軍:徳川慶喜 と謁見出来た理由
も理解出来るのである
。







今回の本題
ライバル同士が手を結ぶ
………


薩摩 と 長州 って ライバル と言うより………
積恨の仲 じゃねぇ~~~の
って思うわけです
。



