命の瀬戸際で生きる賢治がいる。家族=私の"内側の世界"。その"外側"で、特にここ数年、何人もの知人がこの世を去った。訃報を知る度、運命とはなんて過酷であまりにも突然なのだろうと感じる。
昨日、6月5日はまた改めてそう思わざるを得ない日となった。私は必ず、その人との最後の瞬間を思い出す。どんな会話を交わしたか。どんな表情をしていたか。それはどこだったか、いつだったか。
全ての記憶が明確に蘇ることはなかなかない。最後の時は、当たり前のように、知らぬ間に通り過ぎている。
私の"内側の世界"では、いつも覚悟が必要で、だからこそみんな、時を大切に記憶できてきた方だと思う。でも、一歩"外側の世界"に出てみると、私を含め、私たちはみんな、そうそう覚悟なんてする必要はない。当たり前に息をして、当たり前にご飯を食べて、当たり前に生活をしていて当たり前。だから当たり前が当たり前でなくなった時の衝撃は大きい。
私が今の私であることへの感謝の気持ちと共に御冥福をお祈り申しあげます。
iPhoneからの投稿