昨日10月24日はHTBさんのテレビ「イチオシ!」に生出演させていただきました!
ONちゃん可愛い
三人で記念撮影:右からゆな
::中央
ともみ
::左は私
ゆうか
これまで何度かテレビに出た事はありますが、スタジオでの生放送は初めてです。
緊張していた気もしないのですがσ(^_^;) 「あっと言う間でした」というのが一番正直な感想です。
(〃∇〃)これからももっともっと機会をいただけるようにがんばります
私の家族( 母、弟そして私)は、たくさんの方々に支えられています。
HTBさんとのご縁は私が16歳の時からです。
2005年1月18日放送。それこそ、昨日と同じ「イチオシ!」で放送されました
私の弟のドキュメント「難病と闘う少年の個展: 命の水彩画、言葉は・・・絵」
その取材に我が家へHTBの東さんが来て下さった事から始まります。
弟の余命宣告のこと、骨髄移植のこと、私がドナーになるというのは、同時に我が子二人の命に関わる大事だった事。健康に生まれたのに、今は重度の障害を負って、母は介護に明け暮れていること。でも、絵を描くことが彼の使命、生かされた理由、と話す母をインタビューしていて、
聞き手の東さんの目から涙がほろり
「申し訳ありません。報道に携わるものとしてこれはあってはいけない事です。ごめんなさい」
そうおっしゃって涙をぬぐい、次にはキュっと唇を噛みしめて凛とした表情でマイクを差し出していらした東さん。
私たちにとっては、そこまで私たちの状況に共感して下さった事に、逆に涙が出るほどの感謝でした。
その東さんに局で久しぶりにお会い出来ました。
二年ぶり 東さんと
私がミスユニバースにトライしている事をお伝えしていなかったので、当日、東さんはびっくりしていらっしゃいましたごめんなさい~
私が
16歳。留学直前の初ソロコンサートの時
「いつも応援しています」と温かいお言葉をくださいました。
18歳。ロンドンの音大ロイヤルアカデミーオブミュージックに入学して。
奨学金を得られず、学業を中断して泣く泣く帰国するしかないのか・・?そんな絶望の中、
札幌からメールで私を励ましてくださいました。
「頑張って!!!必ず未来はありますよ、私はいつも応援しています」
そう言って、HTBさんのロンドン支局のかたとの出会いを与えてくださって
「ロンドンで頑張っている北海道人」という内容のドキュメント (結局は私の大学から撮影許可がおりずダメになってしまったのですが<(_ _)>)
なんとか私が、ロンドンの地で学びを続けられるための『何か』がないか?
それを一緒に考えてくださいました。
言葉だけではなく深い心
がある事。
そしてそれを行動につなげてくださる事。
本当にすごいかただなぁと思います。
また、異国の地でも、同郷者が手を差し伸べてくださった心強さ。
私は、このような方々のお気持ちを糧に、自分の力で前に進もうと気持ちを成長させて行けたのだと思います。
本当に心から感謝しています。
話は最初の取材で撮ったドキュメントに戻ります。
この2005年1月の放送の一部分には、当時私たち家族四人の仲睦ましい映像(そう見える映像)が含まれています。
父親の姿があります。
そしてこの放送からたった三ヶ月後、父は家を出て行き、それ以来、私と弟は彼の声も聞いていません。
私は初めてお会いする方々から
「ここまで、なに不自由なく育った、苦労知らずのお嬢様」というイメージを持たれる事が多くあります。
「お父様は歯医者さん?それともお医者様?」なんて質問は日常茶飯事です(笑)
それはそれでありがたい事と思います。
でも、私はここまでのたった23年の人生を振り返って、平均的な23歳の経験値よりも
私は少し多く、稀な体験や難しい経験を経ていると思います。
これを苦労というかはわかりません。
何を苦労と思うかは、人それぞれで違うと考えるからです。
先週10月20日、その父が急死しました。
ですから三日前の22日は、彼の葬儀の日であり、私のミスユニバース北海道本選の日でした。
私はそれを知った上でステージに立っていました。
夢に向かって努力を続けていた、10代の半ば。
英国の芸術高校に合格し、留学すると決まったばかり。
そんな、一番親に支えてほしかった時期に、「自分が稼いできた金を、自分のためでなく、家族のために使わなくてはいけないなんて、あまりに自分がかわいそうだ}と親権を放棄され、路頭に迷えと言われました。
彼が憎かったころもあります。
だから、どんな事があっても、自身の努力、我が身を持って、自分の夢を実現して見返してやる!
と思っていたころもありました。
でも彼が亡くなって、自分をあらためて冷静に見られるようになった今、
もし、本当に彼を見返す事が私の人生においての目標であったならば、私はあの日、ステージには立っていなかったと気が付きました。
そういう意味では、私は彼に感謝なんです。
自分の夢は、やはり自分が幸せになるためにあるものなんだと再確認出来たのは、彼のおかげなんです。
”美を競う ミスユニバース”に参加させて頂きながら、こんな事を言うのも何なのですが、世の中って美しいものばかりではないですよね。
みんな何かしら困難があって、傷ついて、人を嫌いになったり自分を嫌いになったり。
でも、そういう事を内に秘めていても、私はそれが人間で、人生を生きるという事なのだと思います。
私が身をもって経験したからこそ言える事は、
目標や夢は、必ず自分のためになくてはならないと言う事です。
自分の夢を叶えて、自分が心から幸せを感じた時こそ、本当に周りの方々にも、心から感謝出来るし、幸せをお伝えして何かのお役に立てるのだと思います。
もし北海道大会で優勝できたら、本選当日の22日、私はこの日がどんな日で、どんな思いを持ってこれを迎えたかという、上に書いた事をステージで、みなさんにお伝えしたいと思っていました。
結果は2位でした。
私が2位になったこと、それは、私にはまだまだ進まなくてはいけない先があると言う事を教えてくれたような気がします。
まだまだ、皆さまの前で何かを語れる大きさではないよ(笑)と。
ミスユニバースに向かう新しい夢のスタートに立ち、さぁ、頑張るぞぉ~と思っています。