我が同期入社のイトウ君は鼻毛を小筆みたいな状態にしても尚泰然自若という弘法大師の如き傑物であるという話を、以前この場でご紹介させていただいたが、それに比べて私はというと一本の鼻毛にも心を乱される誠に矮小な男である。

鼻毛というのは不思議なもので、朝ひげを剃ったり歯を磨いたりしてるときは気がつかないのに、ふと駅のトイレで手を洗ってる時とかに突如認知される場合が多い。

しかもそれでいて、一度気がついてしまうとその後ともすれば一日中、鼻毛が除去され尽くすまで延々心を悩ませるのである。

昨日も私は友人であるウッシー君の結婚式に向かう電車の中で、携帯の画面に映りこむ自分の姿に奴を発見したのであった。

奴は私の左の鼻の穴から堂々と顔を出し、これまでの穴ぐら生活の憂さを晴らすが如く、そこから悠然と広い地平の先を眺め遣っているのであった。
盗っ人猛々しいとはまさにこのことである。

ひげもきっちり剃り、かっちり略礼服に身を包みながら奴の存在を見落とすとは、まさに不覚としか言いようがない。


奴を発見した途端、私の脳裏には様々なことが駆け巡った。

結婚式会場ではたくさんの人と顔を合わせるに違いない。私が鼻毛を出したまま式場に赴けば、神聖な結婚を汚すばかりでなく、きっと様々な厄災に見舞われるであろうことは間違いない。

若い二人の喜びに水をさすかもしれないし、あるいは以降彼らから「あいつは友人というより鼻毛の人だ」とか思われてしまうかもしれない。

お祝いの言葉を述べても、「鼻毛出してるくせに何言ってんの?てかあの鼻毛の人なんなの?」ということになりかねない。

あるいは鼻毛の人が友達にいる新郎ということで、ウッシー君自身が新婦側友人諸氏からナメられたり誤解されたりする可能性すらある。

様々な影響を勘案した末、私は式場に着くまでに必ずこの鼻毛という名の罪悪を撃滅せんことを心に決めた。


戦いは熾烈であった。
無論受付に遅れるわけにはゆかぬから、電車の乗り継ぎの合間の数分間にトイレに駆け込み、電撃的な殲滅戦を展開するのである。

生憎私は手鏡なぞという日本男児に相応しくない持ち物は持っていないので、敵の捕捉は困難だ。故に攻撃対象を特定せず、会敵と同時に即攻撃という戦略を採るほかはない。

つまりはもうやみくもに鼻毛を抜きまくるしかないのだ。

個室トイレの中では、まさに凄絶としか言いようのない戦いが繰り広げられた。

想像してみてほしい。
当年24になるブラックスーツホワイトタイ姿の会社員男性が一人個室の中で、片手で鼻を上に向け、もう片方の手の指を鼻に突っ込み、鼻毛をつまんでは引き抜きつまんでは引き抜きという作業を取り憑かれたように延々と繰り返し続けているのだ。

もはや狂気の沙汰と言うほかはあるまい。

この、天下分け目の関ヶ原もかくやはと思われるような死闘は、乗り換えの度に、すなわち三度に亘って繰り返されたのである。


式場に着いたとき、私の心は穏やかだった。

自らの力で強敵を討ち果たしたという自信が、私をたしかに支えていた。

列席の諸氏は皆一様にきっちり決めていたし、女性陣はそれはもう華やかで、中にはローラ・チャンと堀北真希をフュージョンさせたような世にも稀な美人さえいたが、私の心は揺るがない。

いまや誰と正対しても大丈夫であるという確信が、私にはあったからだ。

もしも鼻毛の人のままだったら、私は友人達とでさえ真正面から視線を合わせることができなかったに違いない。
言わんやローラをや、である。

いや、もちろん結局ローラとは最後まで言葉を交わすこともなく一日は過ぎ去ったが、まあそんなことはどうでもよいのだ。

久しぶりに邂逅したウッシー君に、真正面からお祝いを言えた。

ただそれだけで十分ではないか。


ウッシー君、ご結婚誠におめでとう!
貴兄とそのご家族の、末永いご多幸をお祈り致しております。