家にいるとダラダラしちゃって卒論がまったく進まないので喫茶店で本を読んでいたら、テレビで朝青龍が優勝した。
喫茶店内は白鵬応援ムード一色で、白鵬が最初の取組を制して優勝決定戦に持ち込んだ時、店内はババアたちによる歓喜の嵐となり、優勝決定戦で朝青龍が勝つと、今度はババアたちによる阿鼻叫喚の沼と化した。
でも僕は、あんだけの逆境にありながら、あんだけ日本中からバッシングを受けながら、見事に優勝を遂げた朝青龍に尊敬の念を禁じえない。
勝負の世界に生きてきた人間の端くれとして、勝負に勝つということが如何に一筋縄でいかないものであるのかということは実感を以て知るところである。
勝負を端から見ていることのみが勝負の世界との接点である人々にはわからぬことだが、勝負というのは、なりふり構っていられないくらい厳しいものだ。
自分も勝ちたい。相手も勝ちたい。
その相手の思いを踏みにじった先にある勝利。
それには、そうやって相手の思いを踏みにじるに足るだけの、相手以上の圧倒的な勝利への執念が必須である。少なくとも、それが決定的な実力差のない相手ならば。
喫茶店内の有閑マダム達に言わせれば、勝って感情を剥き出しにする朝青龍がんもう下品で憎たらしくてたまらんらしい。
まあ確かに僕も、少なくとも武道においては、勝ったあと退場まで残心を残す心構えの必要を主張するうちの一人ではある。
すなわち、オリンピックの柔道とかで一本とった途端に敵に背を向けてガッツポーズに雄叫びなんぞをやるのは、後ろから刺されて死んでも文句は言えぬような不覚悟であるという思想を持ってたりする。なぜなら、柔道は武道だからだ。
でもそういうことは、少なくとも現代においてはあくまで勝者の美徳に属する類のことであるし、それだからと言って敗者が勝者より優れているということには絶対にならない。
勝負の世界に存在するのはどこまでいっても勝ちと負けの黒白のみ。
どんなに下品だろうと感情が剥き出しだろうと、そのことを以てその勝利に対する賞賛を失し得るものではない。
勝負に勝つということは、それに値するだけの大変なことなのだ。
朝青龍さん、おめでとう。
これからはさらに、勝ってなお油断せず残心をとり、勝ってなお謙虚でいられるような余裕を身につけることができたら、横綱としてただ強いだけじゃなくなるでしょう。
きっと相撲に品格が出てくるに違いありません。
でも、優勝するぐらい強いってことだけで、ほんとはすんごい立派なことだと思います。
それにしても、僕が内心応援している魁皇と千代大海はそういえばどうだったんだろう。
というか、喫茶店に来ても結局勉強進まねえな。
以上、意外と相撲好きの弓手師でした。