急行電車が駅に停車するたびに、立ち上がるふりをして立ち上がらない客を発見した。


歳の頃は四十代半ばといった感じの二重アゴのおばさんである。


彼女は、停車駅にとまるために電車が減速し始めるとそそくさと荷物をまとめ、荷物を手にもって今にも立ち上がらんという感じで腰を座席から浮かせる。


だが、電車が停車し、ドアが開いても、彼女はその姿勢のまま立ち上がろうとはしない。


そして、電車は発車する。


彼女は、再び座り直し、次の停車駅まで眠りにつく。







…は、はーん。







さてはあれですな?

立ち上がるふりをすることで立ってる客に自分が降りるという期待を抱かせ、期待を裏切られたときの人々の落胆を見て悦に入っておるわけですな?



夕方ののぼり電車は、座れないまでもそこそこすいている。

立ってる乗客としては、「あわよくば座れるかもしれない…」という希望を抱いているのも無理からぬことだ。


そんなときに、近くの座席の客が降りそうなそぶりを見せれば、希望は期待に変わる。

いや、むしろ「やった!座れる!」と内心喜んでしまうに相違ない。



しかし、おばさんは立たない。


待てども待てども立たない。


そして、電車は動き出す。


おばさんは、結局降りずに座り直す。


そのときのがっかり具合と言ったらないだろう。


人間は、手に入ると思っていたものが手に入らないと、けっこう大きな痛手を受けるのだそうだ。


辛いだろうと思ってたことが実際に辛くてもまあ大丈夫だが、楽だろうと思ってたことが辛いと、油断して腹筋に力を入れてないときにボディブローを喰らうような衝撃を受けるのである。


たとえば、ポップなクリスマス商品を売るのかと思ったらガチ肉屋だったり、美しい娘さんたちと働けると思ってたらオールBBだったりしたときのがっかり感などと言ったら、想像に余りある。


魯迅は言った。

「思うに希望とはもともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ。」と。


希望と絶望は、表裏の関係を成している。


魯迅は絶望のあればこそ希望を生み出すことができると考えたが、希望があればこそ絶望のあるのもまた、事実である。



いずれにせよ、なんとも性格の悪いおばさんだ。




ちなみに、徹夜の結果、ゼミ発表は無事に終わりました。

徹夜→発表→トガコン(二次会)という一日を過ごしたので、少しだけ明日が心配です。

明日は朝からまたバイトです。





という日記を書いたのが昨日の夜中のことだったが、書いたのにアップすんの忘れて寝てしまったわけである。

やっぱ酔っ払ってたんだなあ。

さて、バイトに行ってめえりやす。