3.3続　パリ

モナリザ

オペラ通りを戻って、ルーブル美術館(Musée du Louvre)に入った。2時間もあれば教科書に載ってるようなものは観て回れるだろう、と思ったのだが、これがとんでもない誤りだった。入館料20F、規模の割にずいぶん安いな、と思いながら、ガラスのピラミッドを入って地下に降りると、広い空間で、各区画への通路が三方に伸びている、どっちへ行けばいいのやら。仏語の粗っぽい案内図ではまったくわからない。地下鉄とは大違いで、やたら通路や階段に出くわすので、自分がどこにいるのか分からなくなってしまう。まあ、行けば何かに出会うだろう、ということで、適当な通路に進む。美術鑑賞はそれでいい、見るもの全てに何か感じるから。見たいもの決め打ちで突き進むと、別の素晴しいものを見逃してしまう可能性があるから、むしろ行き当たりばったりの方がいいのだ。

壁面一杯の巨大な絵画に圧倒されながら歩いていくと、おっ、モナリザ(Mona Lisa)がある。当時は特に囲うでもなく、壁にぽんと掛けてあって、その前にはちょっとした人だかりができていた。すぐ傍まで行って眺めた。巨大な絵画を見てきた後なので、モナリザは小さく感じた。う～ん、これがモナリザか、なるほど、見慣れた顔だけど、直接目と目が合うと確かに神秘的で気後れがする。突然出会った感激にしばし浸る。が、実はそのほかの巨大な絵画の方が、はるかに威圧感があると思うけど、、、いやいや、ナポレオンの戴冠式は、確かに壁一杯の大きさで、ものすごい迫力だが、気後れする、というようなところはない。しかし、モナリザの目をにらみ返すなんてできない。

教科書に載ってるようなものといえば、サモトラケのニケ(Victoire de Samothrace)にも出会った。これは階段の途中にあったのですぐ分かったが、ミロのヴィーナス(Vénus de Milo)は会えず終いで閉館時間になってしまった。今回は、結局絵画を観て回っただけで、彫刻は階段のニケ以外はまったく観られなかった。2時間ではむりだ。

帰国後、彫刻を観られなかったことが実に残念で、大理石のギリシャ彫刻群が並ぶ様子を想像して夢にまで見たが、幸いにも翌年また行けることになった。今回は、圧倒されながら観て回って写真も撮らなかったが、翌年2回目のときは少し余裕ができて、写真も撮った。掲載の写真は、翌年に撮った、モナリザとサモトラケのニケ、当時はこんな感じでした。

　モナリザ(1996年撮影)

　サモトラケのニケ(1996年撮影)

ルーブル美術館の歩き方

数十Fという入館料は、全館観るための値段ではなく、1回で回れる範囲の値段ってことだね、それでもずいぶん安いが、なかなか全館の構造が頭に入らなくて、同じところを何度も通過した様な気がする。一筆描きのような順路を想定した展示ではないので、それは仕方がないことなのだが、逆に効率的に回ろう、なんて意識し出すと、絵の鑑賞よりも位置確認に気を取られてしまいそうだ。

仏語の案内図によると、建物は4階構造になっていて、彫刻類は下の階（地下と地上階）、絵画は上の階(2階と3階)と、別れているが、私は上の方の階ばかり見ていたので、彫刻には出会わなかったわけだ。絵画か彫刻か、どちらかに決めて、なるべく途中で階段を使わないで、目に映るものを順に観る、というのが良さそうです。もっともこれは十分時間があるときの歩き方で、何が何でもモナリザとミロのヴィーナスを見よう、という向きには案内図での位置確認は重要になるけど、まず居場所を把握するのに疲れること、請け合いです。

初めてのオペラとハプニング

オペラコミック座に戻って、500Fのボックス席というのは、1階の正面、入口に近い一番後ろで、前後に2人ずつ4人がゆったり入れる小部屋。ステージ側が全面開放の窓のような造り。私は売れ残りの1席を買ったと思っていたが、ありがたいことに前の席。でも、ステージから遠いなあ。ホールの中央辺りの普通の席の方が、値段も安いし、良く見えそうだ。ボックス席は、ホールの壁際にずらりと並んでいるようだが、何でこんな端っこの席が一番高いのだろう？お金持ち向けですかね。

ホールを見回すと、客席はずいぶん何階かあって、5階くらいまであったと思うが、試しに50Fとかいう一番上の席まで上って舞台を見下ろしてみたら、巨大な円筒の底に虫がうごめいてるようにしか見えない。音は上にも響くだろうからいいが、これはオペラグラスがないとだめだ。

席に戻ると、年配のご夫婦が隣の前後の席に座っておられた。私より前に買われたのに、前2席ではなく、前後2席を買われたのですね。相席になる人への配慮もされてたんですね。私から何か話し掛けたと思うが、英語はだめらしく、笑顔を交わしただけ。始まる直前に、ボックス席に若い女性が入ってきた。私の後ろに遠慮がちに座って、しばらくして私に声を掛けてきた。「あのう、ここ、ほんとに50フランの席ですか？」

日本人だったか、と思うのと、50Fが交錯して、咄嗟に返事ができなかったが、チケットを見せて、500Fの席ですよ、と答えたら、「そうですよねえ」と言いながら、ボックスから出ていった、と思ったらすぐまた戻ってきた。そして遠慮がちに「係の人に聞いたら、友だちと2人で来て50Fの学生席を買ったんだけど、50Fの席2つは空いてなくて、500Fと50Fの席一つずつしかなかったので、それをくれたんですって。友だちは一番上の学生席に行ったけど、私はここでいいんですって。素敵な席ですねえ。」

へえ～、日本ではまず考えられないなあ、フランス流の柔軟性と思いやり？に、チケット売り場のお姉さんに感心してしまった。で、そうよかったねえ、と応答しながら、まさか私がそのまま前にいるわけにもいかないので、じゃあ前に座ったら、ということで前後交代しました。隣のご夫婦は、当然ご婦人が前でしたからね。「えっ、いいんですか、ありがとう」で、私はボックス席の窓に肘をついて身を乗り出して観ることもできず、女性の後ろで、できるだけ椅子にもたれて観ることになって、余計ステージから遠くなってしまった。

公演の幕間に、女性が、あらすじを聞いてきた。ボエームは4幕から成り、1幕は恋人の出会い、2幕は意気投合してレストラン、3幕はなぜかもう別れて、4幕はヒロインの死、という展開だが、1幕と2幕は話が続くのでいいが、その後は唐突な場面設定なので、あらすじを知らないと、ついていけない。で、私の知っている限りのあらすじを説明してあげた。普通、オペラ観劇は途中に1回、割と長い休憩時間があり、観客はトイレに行ったり、ホールの外のバーで何か飲む、というのが習慣らしいが、このときはどうしたかなあ？女性とそのお友達も学生席から降りてきて、一緒に何か飲んだか？もしそうなら、あらすじを、物知り顔でお二人に話したかもしれない、ちょっとかっこいい。

日本ならチケット購入時に公演のチラシをくれるが、ここではそういう配慮はなく、開演前に、ホールの外でおばさんが、駅弁売りのような格好で、腹の上にパンフレットをたくさん載せて、2フラン、2フラン、と叫んでいたが、何を売ってるのか分からず、わざわざ売店で、きょうの配役のパンフレット、と思って買ったのは、一般のボエーム解説書だった。おばさんから買わないといけなかったんだ。というわけで、歌手の名前も指揮者もオーケストラも分からないが、初めて聴いた生のオペラ、素晴しかった。特に主役のテノールの歌声ののびやかなこと、ヒロインのミミも良かったが、ボックス席からでは、ステージ上の歌手の顔が、近眼の私にはよく見えない。美貌のソプラノはオペラ観劇をより楽しくしてくれる。いくら良い声でも瀕死の病人がでっぷり太ってちゃ、やっぱり興醒めですからね、幸い今回のミミは標準的な体型の人で、顔は分からなくても、雰囲気は自然だった。ミミはちょっと身勝手な役柄で、ソプラノが少し甲高く響いたが、テノールは献身的な役柄なので、こちらの思い入れも強くなる。このテノールはその後きっと世界で活躍する有名な人だったに違いない。

公演後、同席の女性とこのままさよならでは淋しいと思ったので、思い切って、コーヒーでも？と誘うと、快く付き合ってくれた。近くのカフェで、二人分のコーヒーと私はビールを注文。こんなことも出張で人が変わってるからできたんでしょうが、こういう場面で若い女性とお話する機会などほとんどなかった私には、何の話をすればよいのか、冷静に考えればパリの生活を差し障りなく聞けばよかったと思うが、娘をパリなんぞという遠い所にやった父親の心配、実は自分も娘の親なので、つい説教じみてしまったかも、、、迷惑だったかもね。一人は、浜松ピアノコンクールで1位になったとか、お二人とも、真面目に音楽留学されてたんですね。私がオルリー空港近くのホテルまでタクシーで帰る、と言うと「すご～い、地下鉄で行けるのに、会社の方ってお金持ですねえ」とポツッと言われたことばが残っている。50Fの学生席でがんばってる若い女性からみたら、500Fのボックス席もタクシーも遠い存在だったのだろう。今では、この方は日本でも著名なピアニストとしてご活躍されている。

ホテルに戻ったのは1時、パリでは意外と日本人だらけの場面には出くわさず、久しぶりに日本の女性とお話したせいか、夜中だというのに、殊勝にも妻への絵はがきを書いてから、寝た。もう2時過ぎだった。

海外出張物語(13)