それは、突然訪れました・・・

3/11(金)14:46 携帯の緊急地震速報が鳴ったときには、もう揺れてました!
( ̄ ̄ ̄ ̄ □  ̄ ̄ ̄ ̄;;)

ドン!という強い縦揺れの後にガタガタという早い横揺れ、そのの後にゆっくりと大きな横揺れになったので揺れが収まるかと思った瞬間に、またもドン!という強い縦揺れが来て、その後ガタガタと長い横揺れが2分程続きました。
(地震の揺れは約3分程あったと思います)

揺れが治まった時には、当時居たビルの火災警報機が鳴り響いていたので、身の回りのものだけ持って避難しました。
{{{{(+◎+)}}}}ガクガクぶるぶる

ビルの非常階段を下り外にでると、冬空の下に着の身着のままの人が沢山避難していました。
水道・電気・ガスのライフラインは当然止まり、交通もマヒしている中なので、自宅まで徒歩で帰宅することにしましたが、信号が止まっているために、路は渋滞しており、道路の中央分離帯はビルから避難してきた人でいっぱいでした。
(余震等でビルの倒壊または壁や窓ガラスの落下から逃げるためにそこにいるものと推測します)

以下は徒歩帰宅途中に見た光景です。




疾風ウォルフだもーのブログ-傾いた高層ビル  
疾風ウォルフだもーのブログ-つぶれたバス停  
疾風ウォルフだもーのブログ-バス停をつぶした壁のあった場所





帰りながら知り合い等にメールをしていたのですが、途中から一切センターに通じなくなりました。
(当然電話は不通状態)
災害伝言掲示板にすらつながらない・・・ここにつながったのは、電気が復旧した4日目の夕方でした。

やっと少しだけ余裕が出来たので、生存のご報告をさせて頂きます。
m(_ _"m)ペコリ


海沿いの町では津波に呑み込まれ人口の半分が行方不明になったところもあり、未だに物資が不足した状態で避難所暮らしをしている人々が沢山います。
燃料、食料、医薬品、生活必需品、全て不足しています。
「復興」という言葉は、まだまだ遠い先の話しで、みんなその日を飢えと寒さに耐えて暮らしています。
早急の支援をお願い致します。

またニュースでも大きく報道されて知ったのですが、隣県の原子力発電所が破損しており、放射能の恐怖も追加された状態です。
こちらの事件の収拾も祈るばかりです。


最後に、本震災でお亡くなりなった方々のご冥福を祈ります。