わたしは、子供のことから
「自分とは誰なのか?」
「人生とはなんのためにあるのか?」を問い続けてきました。
この別れについても、自分の内側に問いかけて、
たくさんノートを書いてきています。
そこで、はたと気づいたことがあります。
まず、MIKIKOがずっと人間関係に求めていたものが、
「安心できる関係」だったということ。
これは、遡れば確実に親子関係に起因はしますけど、
大人になってからも、実はずっと不安の中にいるモードで生きていたんです。
この不安は、生存本能からくる不安です。
生き残りをかけた不安です。サバイバルモードです。
そしてそれは、自己承認の不安にもつながっています。
例えばパートナーシップ。
どんな関係を育みたいか?という問いに対して、
「一緒に幸せを感じながら生きること」や「人生を共に分かち合うこと」という理想をうたいます。
これに嘘はありません。こういう望みを持って関係を始めます。
けれど、根底に生存をかけたサバイバルモードでの
「安心したい、満たされたい、認めてもらいたい」が横たわっているんです。
そうすると、安心するために、
必ずその関係性の中で不安を感じることが起きるんです。
しかも、求める安心が大きければ大きいほど、
より大きな不安を人生は用意します。
大きな不安から解放された束の間の安堵、
そこに幸せの基準がセットされているためです。
本当に幸せになりたいと思っていても、
それとはどんどんかけ離れた人間関係が展開されてゆくカラクリが、ここにあります。
その都度絶望し、反省し、次こそは!!と思いますが、
相手のタイプを変えても、必ず同じようなことで苦悩する。
心当たりがある方も、きっといるでしょう。
MIKIKOは2回、結婚して離婚しています。
はい、本当に懲りないというか、学ばないというか😆
でも、これはパターンに気が付かなくて起きた必然とも言えます。
これは責任放棄ではなく、完全にしっかり自分の中を見て、
自分の人生を生きると決めた時に明らかになる、
本当に自己責任を認めた上での気づきです。
安心、安全は、この時代この世界では、すでにある程度保証されています。
ではなぜ、安心安全を求め続けるのかというと、それは心理的安全、
愛情を求めているからです。
愛されないかもしれない不安です。
動物的な生存をかけた戦いモードを、
愛情獲得にすり替えて、人生をかけてやっているんです。
恐怖と不安を解消するために、外側に安心を求める人生は、
実は幻のサバイバルゲームをやるようなものなのです。
これは自覚なく展開されますが、
これはあらゆる人間関係に緊張を生みます。
本人も、そのドラマの登場人物も、クタクタに消耗します。
そして、生存は幸せが基準ではないので、
不幸であっても生き残ることを選び続けるモードで展開します。
これがMIKIKOの中で、明らかになりました。
そして、これを見抜くごとに、守らないといけない幻の自分が解けて、
人生も自分も軽くなってゆくのです。
別れは、その絶好の機会、ギフトなのです。
今は思っています。
別れは
何かを奪うために起きるのではなく
人生を広げるために起きる。
私たちの目を覚まさせるために起きる。
⸻
別活とは
悲しみをはらんだ人生からのギフト。
別れが、思い込みを見抜き、本当に自由でクリエイティブな自分に
気づかせるためのきっかけを与えてくれるのだとしたら、
あなたの人生の別れは、
あなたに何を教えてくれましたか?
あなたが知らず知らずに握ったどんな思い込みを手放すきっかけになるでしょうか?
