横浜国際フォトジャーナリズムフェスティバル2007に行ってきた。
さすがプロ。そして賞に選ばれるだけの写真だけあって、どれもすごく力のある写真ばかりだった。
何が一番と決めるのは難しいが、特に印象に残っている何枚かの写真を挙げていこう。
まずパシュトゥーン人の少女の写真。
女の子のアップの写真だけど、何が心を掴むのか上手く説明できない。
この写真展ではこどもの写真というのをよく見ようという思いは初めからあった。どんな表情でどんな目をしているのか。それが見たかった。
そう思ったきっかけは、友達の開いた写真展。フィリピンのこどもたちの夢をテーマにして撮った写真展だった。
そのときに、彼女たち自身や訪れた人たちの言葉から多く聞かれたのが「目の輝き」
写真のこどもたちは、自分たち日本人から見たらつらい環境・状況にある子も多い。それなのに夢や友達・家族のことを語るときの表情はいきいきしていて、その瞳は輝いている。それに比べて日本人はどうだろう?
正直、オレにはよく分からなかった。確かにオレがフィリピンで出会ったこどもたちもみんなイイ顔をして笑っていた。こどもだけじゃなく大人も。でも「目の輝き」に関しては分からなかった。
オレには見る目や感受性がないのかな。そんな風に思っていたから、今度は注意して見てみようと思ったのだ。
そんな中で、思わず立ち止まって見た写真の一枚がパシュトゥーン人の少女の写真だった。
赤い髪に、灰色がかった瞳。その目は無表情にこちらを見つめていた。
フォトジャーナリズム展ということで戦禍の写真などが多く、笑顔の写真もあることにはあったが、生き生きとした表情というのは少なかった。その目は手で覆われていたり、天を仰いでいたり、地に伏せられていたり、何かを必死で訴えていたり、うつろだったり。大人もこどもも、そんな表情が多かった。
でも、彼女の目はそのどれとも違った気がした。
とても美しく輝いても見えるし、絶望に満ちているようにも見える。
しっかりとこっちを見ているようで、焦点が定まっていないようにも見える。
どういう時に撮られ、その子がどのような背景を抱えているかも分からない。
全く何も説明できないけど、ただその写真が今でも心に残っている。
こどもの表情という点では、結婚式の写真も印象に残っている。
「写真版 世界がもし100人の村だったら」というコーナーの1枚。
国は忘れてしまったが17歳の男の子と15歳の女の子の結婚式の写真。
幸せに満ちた写真かと思いきや、男の子はしっかりと前を見据えてはいるがその表情は固く、厳粛な面持ちというよりは複雑な思いをしているように見えた。女の子にいたっては目を伏せ、悲しそうにさえ見えた。
「世界の若い女性を100人とすると、48人は18歳になる前に結婚します。」
彼女たちがただカメラを前に緊張していただけであることを願わずにはいられない。
もう一枚、すごく印象に残っているのがイスラエル兵の写真。
ベトナム・チェチェン・アフガニスタン・イラク・パレスチナ・・・
戦争を伝える写真が多い中、そのほとんどは被害者の写真だ。様々な攻撃で家を、家族を、体の一部を、そして命を失った人たちの写真。どちら側の人間かは関係ない。悲しみにくれている人たちの多くは、武器を持たない民間人だ。
そうした人たちを被害者として捉えたとき、それに相対する存在としての加害者。武器を持った兵士たちの写真はあまり多くは飾られていなかった。
時折写る兵士たちの顔は、ゴーグルやヘルメットの影などで覆われ、その目を見ることができなかった。
そんな中で、その写真の兵士の目はしっかりとこちらに向けられていた。
その写真にはこんな説明文が添えられていた。
「辺りを警戒するイスラエル兵。突然現れたカメラマンに思わず照準を合わせる。」
どんな目をしているのか見てやろうと思った。どんな思いで戦場に立ち、武器を手にするのか、少しでも分かるかと思って、その目を覗き込んでみた。
でも、何も感じられなかった。敵ならば殺してやろうというような憎しみも、敵がいつどこから現れるかという不安や恐怖も、カメラマンだったのかというような安堵も、なにもない。
次に、オレは銃口の前に立ってみた。死を突きつけられる恐怖を少しでも理解したかった。
でも、当然それは写真でしかなく、1mも離れてないその写真との間にはとてつもない距離がある。オレにとってそれは別世界のものでしかなかった。
冷静に考えれば、兵士もカメラマンもお互いに極限状態にいるはずのシーン。カメラマンにシャッターを切る余裕があるわけも、兵士も突然のフラッシュや音に無表情でいられるわけもないのではと思えてくる。
感じたこと・思ったこと・考えたこと、それら全てを言葉にするのは難しいなぁ。。。