アストラゼネカ社の新型コロナウイルスの

ワクチン開発が中断とのニュースがありました。(※)

 

そのうち再開されるんだろうとは思いますが、

正直なんかホッとしている自分がいます。

このワクチン開発競争の過熱ぶりは異様です。

 

周囲の人や身内と話をしていても、

やはりワクチンができるまでは

安心して外出できないという考えばかりで、

「違う型のウイルスに再感染する人もいるし、

効くとは限らないのでは」とこちらが話すと、

でも打っといた方が安心できるからと…。

 

ワクチンって、「気休め」なんでしょうか。

 

いろいろなことの本質を考えていくと、

たとえエビデンスがなくても、

なにかおかしいと感じるものです。

 

 

たとえば、ワクチン、農薬、遺伝子組み換え…

色々なものが、どれも同じような道を

たどっているように見えませんか。

 

ワクチンで言うならば、

例えばインフルエンザワクチンが効かないのは

もう明らかなんじゃないかと思います。

 

ワクチンを打って感染した場合でも、

「たとえかかっても軽く済む」という

わけのわからない主張が一般的になりました。

(どうやって判断するのかと思いますが)

 

3価(3種類のウイルス株が入った)ワクチンだの、

4価ワクチンだの、ユニバーサルワクチンだの、

新しいワクチン開発に躍起になっているのは、

一般市民のためというよりも、

どんどん売りたいだけなんだろうと

感じざるを得ません。

 

 

コロナワクチン接種が開始されれば、

ありがたがって打ちに行く人がたくさんいて、

コロナ対策で「免疫力を上げよう」と言ってたのは

過去の話になっていくんだろうと思っています。

どんどん本質から遠のいていく。

 

 

農薬や医薬品や遺伝子操作なんかも同じで、

たとえばある薬剤に対して

耐性菌や耐性害虫が出てくれば、

大変だと思うのは一般市民だけで、

そういう人たちを煽っておいて、

また新しい薬品を開発して売る。

そんなことの繰り返し。

 

どう考えても、

あらゆる問題について、

根本的な解決なんて望んでない…。

 

 

これは農薬や医薬品のメーカー、

研究者たちが悪いというより、

 

安さや安易なおいしさだけを基準に食べ物を選ぶ。

不調になったらすぐ病院に行く。

病気予防にワクチンを打って安心する。

 

そういう人がずっと利用され続ける。

「知らぬが仏」とは言い得て妙です。

 

 

「病院に行かずに済むにはどうしたらいいか」

「ワクチン以外に病気予防の方法はないか」

「何を基準に食べ物を選ぼうか」

 

発想の転換が大切だと思うのですが、

もとから問題意識の高い人よりも、

実は案外「何らかの制約のある人」の方が

本来は変わりやすいはずだと思うのです。

 

たとえばうちであれば、

「子どもが多く、次々感染すると地獄を見るので、

ただの一人も病気にさせたくない」

 

だから、考える。

 

全員ぞろぞろひき連れてワクチンを打ちに行くより、

全員病気に負けない体になった方がよい。

ワクチン接種は「本質」とは言えません。

 

他の例を挙げるとすれば、

「経済的に厳しいから、医療費をかけたくない」

「病院がない地域に住んでるので、病気になりたくない」

「家族を介護してるので自分が倒れるわけにいかない」

など。

 

大変な状況にあるということは、

実は願ってもいないような

チャンスを手にしているのかもしれません。

ただ、そこに気づくのは難しいものです。

 

自分の置かれた状況に不平不満を言い続けていると、

その間はずっと何かに利用されるがまま、

大きなものに流されるがまま。

 

もしかして、今の自分の状況は、

何かが良く変わるきっかけなのかもしれないと、

立ち止まって考えることができれば、

逆に自分のステージが上がる。

 

仏教的に考えれば、

天国も地獄も、実は紙一重であり、

すべて自分の心の在り方次第なんですよね。

 

人間として生まれて、

何も悩みのない人というのは存在しないと思います。

 

その悩み(制約)をただの悩みで終わらせることなく、

ぜひターニングポイントにしてほしいのです。

 

「何かおかしい」「良くなりたい」

そのように感じ、考えてみることから、

物事の本質が見えてきて、

自分が今後どうしていくべきかが

見えてくるものです。

 

…話がそれてしまいましたが、

コロナワクチンさえできれば安心とか、

接種が開始されたらすぐ打ちに行く!とか、

そういうことではなく、

 

浮足立つことなく冷静に、

本質的なところを考える人が

増えてほしいと感じています。

 

自分や家族を大切にするとは、

結局そういうことだと思うのです。

 

そんな個人の集まった状態こそが、、

世の中や地球の将来も変えていくと思います。