わけあって転居が決まり、今の住まいを引き払うことになった。
季節を間違えたような陽気の下、久しぶりに近所を散歩していたら、あと2ヶ月もしないうちに自分がこの街の住民ではなくなってしまうことが何とも寂しく思えてきた。
転居は自分から望んだ結果だし、その判断につき一点の曇りも後悔もないけれども、この街を離れがたいというのもまた嘘偽らざる今の心持ちである。
そこで、この心持ちが熱をたたえているうちに、私はどうしてこの街を選び、どんな暮らしを享受し得たのか、雑駁にでも振り返っておきたいと思って記事にすることにした。
私が住んでいるのは東京のど真ん中(と表現して差しさわりないだろう)、新宿区は牛込地域の某所である。住所こそ違うが、いわゆる「神楽坂エリア」とくくられる地域に属している。
江戸時代には寺町や武家地だったところで、寺町については今も「横寺町」にいくつかの寺院があるなど、往時の雰囲気を濃厚に残している。
神楽坂は花街が発達し、関東大震災で大きな被害を受けなかったこともあって、壊滅した下町の商業機能の受け皿として繁栄を極めたという。その後、商業機能は新宿などのターミナル駅に奪われ、花街も戦後になって衰退したものの、近年人気ドラマの舞台になったことなども後押しして、今も多くの来街者を集めている。
では、そんな神楽坂エリアに、おのぼりの私がどうして住まうに至ったのか。
ここに越してくる前、私は多摩地域の東にある調布市に住んでいた。ひと口に調布といっても結構広く、私が住んでいたのは、昭和合併前でいうと「北多摩郡神代町」という自治体に属していたエリアである。
23区に隣接しているにもかかわらず、駅前に広い畑が広がり、農家の軒先で野菜や果物が直売されている牧歌的な雰囲気がとても気に入っていた。
かつての私は、おのぼりの身でありながら、都会というものをどこか厭っていた。というより、食わず嫌いしていた、と表現した方が正確なのかもしれない。
都会を厭うようになったのは、上京したばかりの頃に池袋や新宿を歩き、駅まわりのゴミゴミした雑踏の雰囲気が身体になじまなかったのと、その経験が私の中で「東京23区=ゴミゴミした雑踏」という等式を三段跳び式に(?)作り上げてしまったことが原因である。
だから、たとえ通学先や通勤先が都会の真ん中であろうとも、住まいだけは絶対に郊外にしようと頑なに決めていた。調布市に越してくる前に住んでいたのは埼玉県、しかも大宮以北だった。調布に引っ越して、通勤に「大手私鉄の」京王線を使うというただそれだけで、「すっかり都会の人になっちゃったなァ」などと思ったものである。
その食わず嫌いを直してくれたのは、空襲を逃れた戦前の風景が残る神田須田町の街並みや、最近重要文化財に指定された日本橋三越本館の大吹き抜けである。
東京とて、ゴミゴミした場所ばかではなく、あちこちに見るべき風景が息づいている。そう認識を改めた私は、ターミナル駅の風景だけではない東京を、日ごと夜ごとにつぶさに歩き回るようになった。
そんな日々が続くうち、そんな大都会の風景の中に、今度は一人の住民として身を置いてみたいと考えるようになった。でも、のんびりした郊外できれいな空気を吸う今の暮らしが決して嫌いなわけじゃない。引越に伴う負担も馬鹿にならない。私は躊躇した。
でも、そこでまた考えた。自分の給料では、賃貸で都心に住むことはできても、家を買って住むことはきっと叶わないだろう。だったら、家庭を持っては一生住むことのできない街に、独身の今のうちに住んでみることは貴重な人生の経験になるのではないか。本来は学生のときに謳歌しておけばよかった、気ままで愉快な大都会の暮らし。いまからでも遅くはない。
ここに私の腹は決まったのである。
では、具体的に大都会のどこに住まうのか。
絞り込むにあたり、私が設定したのは次の条件である。
・山手線の内側であること。
・地形的には台地上にあること。
・複数の鉄道路線を使えて、都内の各ターミナル駅や繁華街へアクセス至便であること。
・近所に商店街があること。
・飲食店がたくさんあること。横丁があること。
・映画館(シネコンではなく、街の映画館)があること。
・徒歩圏内に銭湯があること。
都内の地理に明るい方ならおわかりいただけることと思うが、山手線の内側どころか、23区全域、いや都内全域にスコープを広げたとしても、これらの条件を全て満たす街というのはそう多くない。(「地形的には台地上に」の時点で、東京の東側はことごとく選択肢から外れてしまう。東京の東側が全て災害に弱いと考えるのは視野狭窄も甚だしいが、住まおうとする場所について得られる情報が完全なものとはなり得ない以上、相対的にリスクの低い選択肢を採用したかったのである。でも、この条件に「山手線の内側」を加えてしまうと、そもそもほとんど選択肢が・・・いやもうやめておこう)
果たして、物件探しの舞台が神楽坂エリアに絞り込まれるまでにそう時間はかからなかったのである。そして今に至る。
「私はどうしてこの街を選び」の時点で、2,000字を超えてしまった。長くなるので、いったん筆を擱きたいと思う。続きは後日。必ず書きますとも。私の足跡を私が振り返るために。
※神楽坂の歴史についての記述は、一部「神楽坂をよく知る教科書」(2019 NPO法人粋なまちづくり倶楽部)を参考にさせていただいた。