カンボジァ椰子が出たところで、1月に行ったカンボジァの紀行文を長くなりますが、

書き記します。観光旅行では無いので、見た目で書いた物です。

この旅は、プノンペンから西へ、タイ国境の州バッタンバンのタイとの国境付近までの

片道400キロ往復で800キロの旅です。

2010年1月17日から20日の日程で、金さんのカンボジアへの、金鉱山の視察と、

商談の旅に同行しました。

金さんはカンボジァ難民で潮州華僑です。今は帰化して、日本名を名乗っています。

2年程前に、ペットのえさになる、魚粉の調査をしていた時に、今、日本が必要として

いるのは、レアメタルで有ると、これも合わせて、調査の依頼を受けました。

その頃に金さんは、金とチタンのサンプルを、日本に持ち帰っていたのだが、

重要性を意識せず、忘れていました。半年ほど前に話が蒸し返して、そのサンプルを

分析した結果、金、チタンともに含有量が、非常に多いと、驚く結果が出ました。

今回は、金鉱山とチタン鉱山の視察が目的です。私がベトナム滞在中と言う事と、

私も1度は見たいと、思っていた事で、喜んで同行しました。

依頼人を案内する前の、事前の情報収集の下見となります。

私は、10数年前アンコールワットと、プノンペンを訪ねて以来2度目のカンボジァで

す。
 
1月17日、ホーチミンの空港を、午後0時30分発の、カンボジアの中型のプロペラ双

発機で出発しました。45分程度でプノンペンの空港に到着の後、ビザの発給を受ける

事になります。少し時間を費やしたが、入国をしました。

私たちの到着を2人の男性が、出迎えてくれました。

2人と合流し、市内のレストランにて、遅めの昼食をとりました。

1人は、プノンペンの潮州華僑で、金さんの古い友人の息子だそうです。

食事の後、彼の家に案内されました。30代後半と見受けましたが、プノンペン市内に

豪邸を構え、車を数台所有し、運転手やメイドを数名雇っていました。

古い友人と言う、父親の姿が見受けられない、と言うか、その生活の臭いがしないの

で、亡くなっているのかなと感じました。今は彼がこの家の当主であり、事業の経営者

と思いました。母親は、弱々しく、健康器具(按摩機)を愛用していました。
 
もう1人は、ヴェトナム人で40歳くらい、ホーチミンの建て売りマンションの、不動産業

者と言います。ホーチミンの事業が経営不振で、プノンペンに拠点を移す方向を、検

討中との事です。
 
午後3時半頃に、空港に出迎えた時の車とは違う、運転手付きの、トヨタのランドクル

ーザーに5人が、乗り込み豪邸を出発しました。              

金さんは、男だけの9人兄弟の長男です。その8男の弟38歳(プノンペン市内で、金

さんに名目上は内緒で、カラオケ店を経営し、若い女性を、70名位かかえていると言

います)と市内で合流しました。彼は運転手付きの、三菱4駆のダブルピック車に乗り、

後から追走します。4時頃にプノンペンを出発しました。
 
まず、プノンペンからバッタンバンまで、3時間半の旅です。国道5号線、タイとの国境

の町ポイペトまで続く、幅広の対面交通2車線の舗装道路(片側1車線)です。

その道を時速100キロ~130キロの猛スピードで、走り抜けます。勿論、一般道です

から、トラック、バス、乗用車、バイク、自転車、道を横断する人、時には放牧から戻る

牛まで、一緒に交通しています。その中を、反対側の車線を、追い越しに次ぐ追い越

しで、走り抜けます。その技術には、さすがに走り慣れてるなと脱帽です。

プノンペンから、40分位走ると、交通量も少なくなり、時速130キロの猛スピードで、

順調に走ります。私と運転手を除く3人は、話に夢中で話が止まる事は有りませんが、

金さんが通訳する訳で無し、私はベトナム語の会話には、参加できません。

ひた走る車窓から、平らで広大なカンボジアの大地を眺め、驚嘆するばかりです。

日本の「シュロの木」に似た大きな高い木が見えますが、この木はカンボジア独特の木

だと言います。この木が多数見える、広大な水田地帯が続きます。

走る方向の右側の先には広大なトンレサップ湖があり、その先には、アンコールワット

があるはずです。沈む夕日を追いかけるように、走っていましたが、やがて、大地の先

に夕日が沈み、辺りが夕闇となります。道の両側や遠く近くに、ちらほらと民家の明か

りが見えます。そして収穫の終わった水田を燃やす、野焼きの火が赤々と見えます。

やがて、午後7時半バッタンバンに到着しました。ここで、ホテルに投宿すると思いき

や、食堂で夕食となりました。この先3時間かかるので、目的地の近くまで、今日中に

到着したいとのことです。30分ほど食事休憩をして、午後8時に出発しました。

30分程走ると田舎の小さな町につきました。ここで左折すると、道路が未舗装となりま

す。ここでも、時速60~80キロで、前の車のあげる土煙の中を追い越しをかけます。

金さんの弟は、運転手と2人で、土煙の中を追走してきます。後でわかったのですが、

ダブルピック車は気密性に優れ、車内にほこりが一切入りません(私達の車は微か

に、埃が入ります)。そして、この車はジィーゼル車でした。ジィーゼル車は加速が悪

いので、私たちの車を追走するのは、並大抵の事ではなかったと、思いました。

そして、1日中土煙の絶えない道の両側の、住民の生活やいかにと、思わずにはいら

れません。私はベトナムで、この道路の埃について、にがい経験が有るので、人ごとで

は有りませんでした。その疑問を、聞いたところ、近いうちに中国の資本で、舗装工事

を始めると言っていました。

結局カンボジアもこうして中国に、資源を奪われるのか、との思いを強く抱きました。

バッタンバンから2時間走って、宿探しを始めました。こんな辺鄙な場所でも、カラオケ

や飲み屋のネオンはけっこう有ります。性産業は古今東西、地の果てまでもです。

ホテルもそれに付随した施設と思えます。ようやく見つかりました。勿論、旅行客が泊

まる様なホテルでは有りません。1部屋5ドルの部屋が、3部屋有るそうです。

カンボジアでは、田舎でもドルが、通用します。私が1部屋、金さんと弟で1部

屋、華僑とベトナム人で1部屋、運転手はそれぞれ車の中、という事になりました。

午後10時、当たり前の事ながら、シャワーからお湯が出ることは望めません。

仮眠程度にそのままでベットへ、眠りにつきます。
 
1月18日、夜明けと共に目を覚まし、7時半にホテルを出発して、近くの食堂で軽い食

事をする。8時頃に出発するも、ここからは、極端な悪路で大きな凸凹道、それでも追

い越しにつぐ追い越しで走ります。

未舗装道路や悪路の多いカンボジアの大地を走り抜けるには、日本の4駆でなけれ

ば走れないと、実感しました。この、ランドクルーザーで、彼は、数日の間に、カンボジ

アを2,000キロ走ったと言っています。日本で分析して、高品質のチタン鉱石と診断

された、チタン鉱山へ行くためです。ラオス国境の凸凹道を走り、チタン鉱山へ行き、

現地の省長(日本では知事)と会見して、鉱山開発の了解を、取り付けたそうです。

15キロの道のりを30分で目的地に到着しました。道路を右折して、30m位入ると、回

りを簡単な塀に囲まれた、目隠しを兼ねた高い門扉の有る場所に案内されました。

2,000㎡位の敷地の家で、ここが、現地事務所兼試験場です。ここでは、試験的に

石を取り除いた、山の土を機械を使い、水に溶かして、1㎡位の沈殿池を2カ所設け

て、流し込んでいました。しかし、敷地のあちらこちらに、石を砕く機械や、

自動選別機など、相当古い中古の機械が有るので、機械化を進める感じは有り

ました。そこから、現地の人の案内で、山へ案内されました。

勾配のなだらかな原野の中にある、高さ100m位面積は20㌶位の小さな山です。

私たちが来るので、草を刈ったり、発電機と蛍光灯を準備していました。  

かなりな、急斜面を20mくらい登ると言います。さっきの設備を見たばかりなので、

たいした事は無い、と言う先入観が強く、興味薄でした。その上肺炎の私には、かなり

きつい作業となりますので、金さんにご遠慮申しあげました。「私には登れない」

と言ったら「ゆっくり登って来て」と言って先に登って行きました。        

私は躊躇して下で待つ事にしました。しかし、私に付き添っていた、現地の案内人が

身振りで、どうしても登れと言います。7階建てのマンションに、登る程度ですが、急斜

面に刈ったくさや、踏み倒した草が有り滑る事と、呼吸が苦しいので、何回も、休みな

がら目的の場所へ、着きました。                     

そこには、2m位の洞窟があります。入ってすぐの所に、直径1,5m位の竪穴が掘って

あります。その穴は足場板で蓋がしてあります。0,5m位の幅でその周囲が回れま

す。そこから、奥行きは定かでは無いが、直径1.5m位の横穴が3方向へ3本掘って

有ります。用意した発電機は、エンジンがかからないのか、使えないので、その横穴の

壁に大型の棒電池で光を当てると、金がキラキラと光っています。       

生まれて初めて見る光景に、「なにこれ」ですよ。しかし、それは黄鉄鉱でした、

本当に凄いです。文献には、キラキラ光っているのは黄鉄鉱で、金は見えないと、

なっていますが、彼らが黄鉄鉱を見せるために、遙々ここまで案内したとは思えませ

ん。私には分からないが、それなりの調査はしていると思います。

専門家の判断が待たれます。金さんは写真を撮っていますが、私は車の中のリック

に、置いて行ってしまいました。

車まで戻るのは大変なので、残念ながら撮影出来ませんでした。現場を見るまで、 

金さんからの説明や通約は一切有りません。こちらが聞けば答えますが、それ以外は

説明はありません。彼の日本語力は30%程度です。一般的な会話には、支障は有り

ませんが、彼らの会話を通約するのは、大変骨の折れる仕事だと思いますが、全く通

訳なしです。カンボジア語、ベトナム語、潮州語、日本語と、4カ国語を話す彼は、

自分たちの会話を、私が理解していると、誤解しています。

説明なしで現場を見たのですから、驚くのは当然です。横穴の中に入って行くと、 

鍾乳石の柔らかい物が、下がっています。手で触ると水一緒に溶けて落ちました。 

「これは、相当前に掘ったものですね」と金さんに聞くと、60数年前のフランスの植民

地時代に、フランス人が掘ったものだと言います。勿論カンボジア人を使って掘ったと

思います。このほかに、7カ所掘られた場所が、有ると言います。当時、サンプルをフラ

ンスに、持ち込んでいると言います。その後、ポルポトの支配下となり、さらには、タイ

国との国境紛争で、手がつけられずに、今日に至っているとの事です。

ここの土地の、所有者は、6,000㌶を所有し、その権利を35億円で、譲り渡すと言う

のが、このたびの、商談と言うことらしい。中国の企業も商談に入り、25億円まで値切

り交渉をしている、情報も有るようです。

こんなものが、大陸には、まだまだいっぱい眠っているんですね。本当に驚きです。

帰りに、先ほどの事務所に立ち寄りました。下層の沈殿物の中から、砂金を選別する

ときに使う、丸い鉄板で金の選別の実演を、見せてくれました。僅かですが実際に採

れます。金庫の中の金と銀の固まりも、見せてくれました。       

お土産のヤシの実を、ダブルピックに積み込んで、帰路に付きます。

来る時は、真っ暗でまわりの景色が、見えませんでしたが、肥沃と言えない、この地方

の主要作物は、キャッサバ芋、タピオカです。荒れ地でも自生するこの芋以外に、 

広大な土地で、大量に栽培できる作物は、無いような気がします。日本の製粉業界、

製麺業界、工業用の糊(これはガムテープや壁紙や建築用糊など建築業界などに広

い用途があります)などで広く利用されています。(デンプンを原料とする、味の素で

は、ホーチミンの東、ドンナイ省の広大な土地で、この芋の委託栽培をしています)。

車で何時間も走る、広大な農地が、芋の収穫の真っ最中でした。収穫の終わった所

から、大型のフォードトラクターで、プラウによる鋤起こし作業が始まり、次の作付けの

準備をしていました。各農家が、大型のフォードトラクターを、所有しているように見え

ました。また、荷物の運搬に多数使われています。

バッタンバンに近ずくにつれ、水田が見えて来ました。収穫の終わった水田が現れて

牛の放牧と、野焼きが行われています。

昨夜食事をした、バッタンバンの食堂で昼食をとり、広大な水田地帯をひた走る事、

3時間半、改めて、カンボジアの農地の広大さに、驚くと共に、農民は結構豊かな生

活をしているのでは、無いかなと言う思いがしました。

確かに、HITACHI建機のコマーシャルに有るように、1㎥クラスのパワーショベル

で、地雷除去をしていますが、これは正に、コマーシャルではないか、と言う思いを強

く持ちました。そう言う所は、ほんの1部と思われます。ポルポトが支配したと言われ

る、この地方でも、地雷の危険は全く心配無いとの事でした。

Google Earthでは、隣の省のパイリンが、地雷の危険が有ると、警告しています。

また、プノンペンの周辺部には、多くの貧民街が存在しています。非常に貧しいとメデ

ィアが報道しています。目の前にいる華僑のように、運転手やメイドを雇い、事業や生

活をしている人達とは、正に天国と地獄、これも事実でしょう。

しかし、メディアの報道は、「木を見て森を見ず」なのか、お涙頂戴の、「為にする報

道」なのか、視聴者は報道された「木」だけしか、見ることは出来ません。私も、「木」だ

けを見て、カンボジアは、貧しい国だ、だからベトナムの十分の一の人口しか養えな

い、と思いこんでいました。そして、外国からの企業誘致を行い、近代化しなければな

らないと思っていました。本当にそうでしょうか?

近代国家に住んでいる私たちの基準を、当てはめる事が、大きなお世話と言えません

か?この国は地平線に朝日が昇り、地平線に夕日が沈みます。

広大な農地を少ない人口で耕作し、それなりの豊かさと、それなりの文化を守って行く

事が、幸せなのかもしれません。

トンレサップ湖の先に有る、アンコールワットは、その昔、広大な農地の恵みにより、繁

栄を極めたと言われます。しかし、その周辺の広大な地域が、熱帯雨林に戻りました。

この地域には広大な農地が、眠っています。住民は、土地の活用が出来ずに、貧しい

生活をしています。これも事実です。

しかし、関東平野が一番広く、山また山でわずかな農地を耕し続ける、日本の農業と

は、全く条件が違います。ベトナムも南部のメコンデルタを除くと、北ベトナムには山岳

地帯と、中部ベトナム沿岸部には、砂漠地帯が多く農地はわずかです。

また、中部の高原地帯は、見渡す限りのコーヒー栽培地帯です。多くのコーヒー農家

が有るが、1戸当たりの農地が少ない為に、農民は厳しい生活を強いられています。

カンボジアの大地を目の当たりに見て、カンボジアは豊かさを秘めた、魅力ある農業

国かも知れないと思いました。プノンペンに近づくにつれ、左側にトンレサップ川を見

て、堤防の上を走ります。右側は湿地帯となり、大きな沼や養魚場、蓮の水田、その先

は青々とした、水田が広がります。

午後4時頃、プノンペンに、到着して、ホテルにて休憩となる。夕食は、ラオスと接する

省の、省長(知事)さんと会食が、設定されていましたが、金さんが強行軍で、疲

れたのか、乗り気薄なのか、会食は中止となりました。

彼らは、明日、私たちをラオス国境の、チタン鉱山に案内する、予定を立てていまし

た。実行されれば、大平原を突っ走るのと違い、山岳地帯の、山有り谷有りカーブ有り

の道路を走ります。要する時間も倍の片道12時間以上かかると思います。

往復で2日間の日程となり、金さんは日本に帰る航空便に乗れなくなります。

これを嫌った感じを受けました。私たちは、金鉱山とチタン鉱山は近くに有り、1日で見

られる行程を、組んで来ただけに、肝心のチタン鉱山が、見られないのは、残念でし

た。日本が必要としているのは、金よりも、チタンなどのレアメタルです。

この鉱山は、多数のレアメタルの、含有が期待されています。

1月19日、朝食は弟が迎えに来て、麺料理で軽くすませました。

午前中はチタン鉱山の関係役所に、訪問しました。弟を現地の代表者と紹介して、

今後の連絡をとる事としました。私もそれなりの肩書きで、紹介したらしく、関係書類を

1部渡してくれました。それを見ますと、鉱物の主な埋蔵地が記載されています。

金の埋蔵地は、バッタンバンとコンポントムと記されていました。英語の分からない私

でも、GoldとAluminiumくらいは読めます。政府もそれなりの調査をしています。

ここは、チタン鉱山の件で伺ったので、金鉱山の話はしません、むしろ、その件は隠し

て話題を避けているようです。                       

昼食は、昨日の2人とその奥さんやベトナム人の兄弟たち、農業関係者1人(この人

は、政府の依頼を受けて、カンボジアの稲作の近代化、機械化を進めようとしていま

す。日本の中古農業機械の販売の可能性を探ります)。ベトナムの銀行関係者、プノ

ンペン支店長と次長の2人(カンボジアは実質ベトナムと華僑の資本が、動かしていま

す)。そして私たち2人で、今後の事業計画を話しあいました。

勿論、私は、蚊帳の外で、断片的な情報がほんの少し入る程度です。私に出来ること

は、「モッ、ハイ、バー、ヨウー」ビールの乾杯のかけ声に会わせて、時には金さんの分

まで、ビールを飲む事です。おかげで腹が冷えきってしまいました。

夕食は弟と3人で日本レストランに行きましたが、腹が冷えてる為か、悪寒が走り気持

ちが悪く、食事が出来ません。早めにホテルに帰り、バスタブにお湯を張り、体を温め

て、眠りにつきました。

1月20日、体は快調です。金さんの弟と、金さんの息子が、朝食の為に迎えに来まし

た。ホテルのチェックアウトをすませて、食事し、時間を調整して、副首相を表敬訪問

しました。そして、市内をドライブしながら、時間調整します。

前回訪れた時は、メコン川の船で、カジノを営業していましたが、今は、オーストラリア

の資本で、大きな建物を建てて、営業しています。カンボジアではベトナムとタイの国

境でもカジノを経営しています。王宮や、フンセン首相の家などを見ながら、空港へ向

かいます。午後0時40分の、ベトナムエアラインのジェット機で、ホーチミンへ。

金さんは、夜中のベトナムエアラインで、日本へ帰る強行スケジュールです。

この度の目的は、金鉱山の有無を、確認する事と、事業化が可能かを探る事でした。

金鉱山については、素晴らしい事が、確認されました。

金さんは彼らと、十二分に話し合う時間が有りました。それなりに、彼らの思惑を推測

出来たと思います。私には、それに関する話をしないので、五里霧中の状態です。

帰ってから、Google Earthで、目的の場所を上から探して見ました。

非常に限られた情報と記憶を頼りに、総合的に判断して、その場所は、ここしか無い

だろう、と言う場所は分かりました。正にタイと国境を接する所です。

Google Earthの威力は偉大なものが有ります。

五里霧中とは言え、金の魅力は魔物と言われます。あんな凄い物を見せられたら、

なんとかならぬものかと、夢を見るのも、男のロマンと、愚かな夢を抱きました。