前回の続きです。

 

 

 

ネット上での情報収集の話は一度置いておいて

 

一度、区の騒音関連の部署、環境保全課公害対策グループというところへの

相談・対応をお願いした話を混ぜながら、進めたいと思います。

 

 

環境保全課公害対策グループの方も、おそらくは宗教絡みの案件

もっとも関わりたくない部類であることは察するところではありますが

こちらも我慢や遠慮ばかりをしているわけにもいきません。

声を挙げなければ、何もなかったこととされてしまいます。

 

もっとも、閉じた世界の中で培養され、独特の価値観を塗り込まれた人間らにおいては

意思を伝えても「意味のない軽い謝罪で誤魔化す」「無視をする」「逆ギレをする」

といった誠意の全くない対応をするケースが散見されるようです。

 

ちなみに天理教では「感謝」「慎み」「たすけあい」といったことを言っているようですが

現実の彼ら・彼女らの態度を見るに、非常に違和感を感じてしまった、という方も

多いのではないでしょうか?

 

みなさんはどう思われますでしょうか?

 

 

区の担当部署の方に相談をし、直接電話にて苦情を伝えてくれるということとなりましたが

当然のごとく、一度や二度では、徘徊し自分勝手な騒音を周囲に鳴り響かす老婆の行動が

収まることはなく、複数回の苦情を伝えて頂くこととなりました。

 

担当の方には、お仕事とは言え、もっとも関わりたくないと思われる層に複数回連絡を

して頂いたことは気の毒でしかなく、感謝をしております。

 

正直、非常に気分が悪いため、履歴のほとんども削除してしまっていますが

今確認したところ、区に相談をしていたのは大体一週間ごとであったことと

一度収まったと思わせておいてからの復活でまた対応してもらったり

といった経緯があったこと等が確認できました。

 

 

自分は元々、世田谷区の高層階に居住しており、こういったこととは全くの無縁でした。

そのため、生活における騒音がここまで「辛い」ものであることを初めて知りました。

 

ましてや、洗濯機の稼働する音や子供の無邪気なはしゃぎ声といった生活音といった

内容のものではなく、一般人の感性からすると不審者の類いであり

徘徊されるのは不気味でしかなく、成人した人間が分別のない行動をすることが

理解できず。

 

街を自分たちの宗教カラーに勝手に染めないでほしいと思いました。

 

一般人の信教の自由という観点も尊重されるべきではないでしょうか?

 

 

他人の信仰になど、まるで興味などないのです。

「天理教を弾圧するための他宗教の輩」などという妄言もありましたが

そのような存在はほぼゼロでしょうし、彼らの完璧な対応を見るに

少々のクレームではとても「弾圧」など不可能であることは

ご自身らが一番知っていそうな気もします。

 

天理教信者をはじめとした、多くの新宗教・新興宗教の人らが何を信仰しようが

一般人は興味関心はないのです。

 

一向に、お好きになさったら良いのです。

 

今までも論点は意図的にずらされて来ましたが

問題となっているのは「騒音」なのです。

 

住宅地という心身を回復させ、明日の仕事をおこなうための英気を養う場所でもある

エリアにおいて「信仰」を盾に「騒音」許容しろと一般人に強いるのは

あまりに幼稚過ぎませんでしょうか?

 

もっと言えば、一般人のモラルよりも大きく劣っているのではないでしょうか?

 

一般人よりも常識・モラルが劣ってしまうような宗教というのは、一体なんなのでしょうか。

どんな意味がある「教え」なのでしょうか?

 

皆さんはどう思われるでしょうか?

 

 

次回へ続く・・・