笑顔で親指立てて | 旅館の親父のブログ

旅館の親父のブログ

群馬県の山奥で、温泉旅館を経営してます。
1955年生まれ、温泉旅館を経営してる者です。
子供の頃から興味を持ったものは何でも収集(追求、研究)
したくなる、コレクター癖があります。
そうです!波乗りも還暦過ぎてもやってます!
よろしくお願い申し上げます。

以前も似たような話書いていたらゴメン! 親父はすぐ忘れますんで、交わしてください。

・・・・・・・・・・

今年は、昨年、一昨年と比べれば、波乗りに行っている回数(カウント)が進まない・・
7月と言うのに、まだ15回です。

月二の、ノルマはクリアーしているものの、やはり物足りない感じがします。

あの震災が一番影響した事は間違いないけど、私はまだマシな方かな?

そのためにほとんど行けなくなったサーファー・・・
やれなくなったサーファーを知っている。

でも、波乗りやっていた人にしかわからないと思うけど、
その方達も、少なくなったとは言え、何とか模索しながら海へは行き始めた様だ。

私の場合、むかし、昔の古い話。
立場、エリヤ、長男で跡取り、20代半ば過ぎに、波乗り100%あきらめました。
そんな私でさえも、50歳で(ほぼ四半世紀ぶり)復活してしまった、サーフィンと言うスポーツ・・・
いや!スポーツと言う、くくりで片づけられないのがサーフィン!
そんな気がします。

当時の私は、
今時の言葉で言うならば、チャラケタ感じ?
チャラオな感じで始めたサーフィンは、『1975年か6年だったかな?』
まぁ~VWにボード乗せて行くだけで、気分が良く、
カッコいい人って錯覚していた。
何て難しいスポーツ、なんて体力が必要か・・・
当時のチャライ親父(兄ちゃん)には無理かって思いました。(笑)

おそらく、スープライダーでやめていたなら、今日みたいな事はありえなかったと、思います。

ある日、白くない、泡じゃない、水色の3Dの水の斜面が目の先に見えた。
パドルする、横からではなく私の立っている目線の先に見えた!
それからだろう?友人が忙しく海に行けない時だって、一人で行き始めました。

当時学生だった自分には経済的にもキツカッタけど、
夜遊び、ディスコやめてその分海って感じだったかな?

―y( ̄Д ̄)。O◯も、21歳でやめたよ・・・16から吸っていた、タバコも。(笑)

その先の進歩があると、さらにはまり、結果、大学卒業後、大磯に引っ越しちゃった。(笑)

たった1年間で終わってしまった大磯時代!
毎朝波チェック!ひざ以上あれば、毎日朝夕入っていました。
 
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そして、その間に見えた、さらに新しいサーフィン感・・・・・

1週間やれないと、下手になったと思い・・・
波が5~6日無い時は、横須賀からフェリーで千葉にも行きました。
うねりの方向で、吉浜、伊豆って時も。

1年間そんなお気楽生活でした。

親父が倒れ家に戻った時は本当につらく、たまに行く湘南では、次世代にあおられ、不甲斐無い自分が情けなく、いっそのことやめてしまえ!そう考える様に。

(それだけ其の頃は、)当時は、ストイックだったのかなぁ~?

今は楽! どうせ親父! そんな上手くできるはずないし、
ちょい出来たって、最高と思える。

やれただけ幸せ!ラッキーボーイ!!? ボーイじゃないけど・・・(;^_^A

中々波とれなくたって、平気! 長い人生経験で養ったか?・・笑いながらぁ~

『 爺さんが、頑張っているからぁ~たまには波くれぇ~老い先短いからぁ~頼むぜ! 』

等と、カッコ悪いギャグを平気で言えるし! 周りのサーファーが良いライドすれば、
知らない人にだって、笑顔で親指立てて、『最高!カッコいいよ!』なんて事も言える。

若いころ見えなかった、サーフィンライフが見えてきた感じがする。
 
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月2か、よくて3回のサーフィインでも、見えてくる事ってあるのですね。
これも年行ってから、はじまった第二のサーフィンライフだからなのかな?

いやぁ~♪ 今年なんか去年以上にサーフィン楽しくなっている、波乗り面白い。

いやいや海に行って、浸かれるだけでサイコ~~~なんだ!