ブログネタ:ボウリングの最高得点はどのくらい?
参加中表記 [編集 ]
文部科学省の国語審議会では「外来語の表記 」で、球技を意味する場合は「ボウリング」と表記する答申が1991年(平成3年)に出されている。そのためボウリングと表記するのが一般的である。まれにボーリングと表記されることもあるが、ボーリング という語は掘削(boring)を意味する場合が一般的であり[1] 、球技を意味する場合に用いることは好ましいとは言えない [1] [2] [3] [4] [5] 。
ボウリングの球は、英語で「Bowling ball 」と表現するため、ボールと表記するのが一般的である。まれにボウルと表記されることもあるが、これはローンボウルズ (ローンボウリング)で使われる球のことである。
概要 [編集 ]
1ゲームは10のフレーム から構成される。第1~9の各フレームは最大で2回投球できる。1投目にストライク(1投で10本のピン全てを倒すこと)が出た場合はその1投のみで次のフレームに進み、それ以外の場合は残ったピンをそのままにして2回目の投球を行う。1投目で残ったピンを2投目で全て倒すことをスペアという。第10フレームは、ストライクもしくはスペアが出た場合には計3回の投球を、それ以外の場合は2回の投球を行い、ゲーム終了となる。
通常、ボウリングを行うための専用施設であるボウリング場で行われる。ボウリング場は中にいくつものレーンがあり、ピンセッター(ピンを自動的に並べる機械)やボールリターン(ボールをプレイヤーの元に送り返してくる仕組み)などを備えているのが普通である。様々な重さのボールの他に、専用の靴 なども貸し出している。
なお、ボウリングをすること等を意味する bowl という語は、ラテン語 で泡 や瘤 を意味する bulla に由来する。一方、同じ綴りで食器や容器(ボウル )を意味する bowl や、球を意味する ball は、それぞれゲルマン語 に由来し、本質的に異なる。
起源 [編集 ]
もともとボウリングは倒すピンを災いや悪魔 に見立てて、それを沢山倒すことが出来たならば、その災いなどから逃れることが出来るという一種の宗教儀式であった。その歴史は古く、紀元前5000年 頃には古代エジプト において墓から木でできたボールとピンが発掘された[2] 事から、その頃からもボウリングに似たようなものがあったとされている。
しかし倒すピンの数やそれに応じた並べ方も場所や地域によってさまざまであった。それを中世 ドイツ のマルティン・ルター が倒すピンを9本にし、並べ方もひし形 に統一していったことが近代ボウリングのルールの原型になっていったと考えられている。9本という決められた数のピンを倒すという行為は、やがてナインピンズ・ボウリングという一つのスポーツとして派生し宗教家の間では人気のあるスポーツとして栄えた。このことから宗教革命家と知られるルターは、現在のボウリングの基本的なルールを統一した意外な功労者でもあるといえる。また、ドイツ の一部の地域では、いまだにその名残としてピンの数が9本でプレイする地域も存在する。
17世紀 になると多数の宗教家(清教徒 )たちがアメリカ に移住した事で、アメリカ でもボウリングが盛んになった。アメリカ では更にボウリングを面白くするためにピンの数を10本に増やし、並べ方も正三角形 に変化していったのが現代のボウリング(テンピンズ・ボウリング)だとされている[3] 。
日本 [編集 ]
日本 では1861年 6月22日 (5月15日 )に、長崎 の大浦居留地に初めてのボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開設された。これを記念して現在6月22日はボウリングの日とされており、その日限定で割引サービス等をやっているボウリング場もある。なお当時、坂本龍馬 が長崎に居留していた英国人貿易商グラバー と交流があったことから日本ボウリング資料館 の開館を報じるボウリングマガジン 誌において龍馬が日本人初のボウリングプレイヤーであるかもしれないという願望を含んだ記事が掲載されたが、そのような事実があったという確たる証拠が存在しているわけではない。1970年 前後にはスター・プレイヤーである須田開代子 ・中山律子 らの出現などがきっかけとなって、当時は数百メートルごとにボウリング場があったほどボウリング・ブームと呼ばれる流行ぶりを示した。このブームは1973年 の石油危機 により一旦終息するが1979年 頃から人気が再燃し、当初のブームには至らないものの現在でも安定した人気を得ている。
現在もスポーツ人口が増えており、体操 と並んで国民に最も馴染みの深いスポーツの1つである。またスポーツ競技と定義されているが男女問わず手軽な集団レクリエーション・ゲームとしても浸透しており、あまり経験の無い人も参加しやすい性質を持つと言える。
- 1861年 (文久 元年) 長崎の大浦居留地に初めてのボウリング場がオープン。地元新聞 に広告が掲載される。
- 1952年 (昭和 27年) 国からの土地払下げを受け、12月20日 六本木に東京初の民間ボウリング場「東京ボウリングセンター」がオープン。しかし当時ボウリングはまだ珍しいもので、上流階級の人たちだけが出入りする特別な場所だった。そのためか一年で経営破綻し第一ホテル (現・阪急阪神ホテルズ )に経営を委譲。同グループの吉祥寺第一ホテルに全施設を移設し、現存。跡地はTEPIA となる。
- 1955年 (昭和30年) 現在の全日本ボウリング協会 の前身「日本ボウリング連盟」設立。初代会長は、安西正夫。
- 1961年 (昭和36年) 日本がボウリングの世界組織であるFIQに加盟する。ここから日本のボウリング界は世界へと道を開いてゆく。また、この頃からボウリングの機械化が進み始める。それまでは、ピンボーイと呼ばれる人が倒れたピンをもとどおりにするという人力に頼ったものだった。
- 1964年 (昭和39年) 現在の全日本ボウリング協会(JBC:Japan Bowling Congress)設立。
- 1970年 の終わりごろ、スコアをボウラーが計算しなくても済む計算機能を持った機械が実用化され始める。この頃から、日本ではボウリングのブームが始まる。当時ボウリング場は全国に3880センターを超えていたが、現在は約1000センターまでに減っている。
- 1978年 (昭和48年) JBC、財団法人 になる。
- 1983年 (昭和58年) JBCが日本体育協会の加盟団体となる。
- 1986年 (昭和61年) アジア競技大会 で(ソウル で開催)日本は12種目中6個もの金メダルを獲得する。
- 1988年 (昭和63年) ソウルオリンピック でエキシビジョンゲームに採択される。