この時期になると、どうしても第二次世界大戦のことを考えてしまう。
今日9日は、長崎に原子爆弾が投下された日です。
8月6日は広島に投下された日。
今から4年前の8月6日。
大学の軟式野球サークルの後輩の結婚式へ行った。
青森県の大学なのだが、その後輩Yは愛媛出身。
愛媛での結婚式だった。
飛行機で行こうかどうしようかと迷い、
結局寝台列車で新大阪まで行き、そこから新幹線で岡山を経由。
瀬戸大橋を通って、松山へ行くことになった。
新大阪~岡山での車中。
隣の座席に初老の男性が座っていた。
「どちらから?」と聞かれた。
「青森からです」
「遠いところから来たねぇ、どこまで?」
「愛媛です。」
「おお。じゃ、岡山で乗換だね。私は広島までなんだよ。」
「今日、広島ということは、原爆の何かに参加されるんですか?」
という、私の素朴ながら気遣いのかけらもない質問から、彼の話が始まった。
およその話としては、
彼は広島出身だったが、親戚の家へ疎開することになって原爆の被害をまぬがれた。
しかし、多くの同級生や知り合いが犠牲になった。
今でも、その光景を思い浮かべて寝付かれぬ時があるそうだ。
「平和祈念式典には、毎年来てるんですよ。」
今は首都圏に住む彼は、にこやかにそう言った。
でも、話が前日のテレビ番組の話になると、顔が険しくなった。
原爆を投下した米兵が出演した番組。
「一兵士なので、一人だけを責めるわけではないし、彼が判断したことではないのだけど、
やっぱり、ああやってテレビに出てるのを見ると、許せん気持ちになるなぁ。」
最後は、にこやかな笑顔を取り戻しながら、でも若干の怒りを見せていた。
もう64年たつが、戦争の傷跡はまだ癒えないのだな、と改めて感じたものです。
戦争をしらない世代。でも僕は伝えていく立場にある。
どう伝えていくべきなのか、未だに迷っている自分がいる。
この時期、しんみりする バル でした。