魔法瓶に入れたもの
「何が君の幸せ、何をして喜ぶ」アンパンマンマーチの冒頭のようなことを最近ふとした時に思う。睡眠時間を削っても朝早めに起きて珈琲を一杯飲んでネットサーフィンをする時間を取る。目の前を流れていく情報とどこかの誰かの情動に共感したり発奮したり不愉快になったりする。感情が動いていることを確認する作業なのだろうなと思うことがあある。珈琲を飲み終わる頃には、感情のウォーミングアップが完了して「仕事に行く人」にチューニングされる。帰宅してその日あった楽しかったことを彼に報告する。面倒くせぇなの集合体の家事を全部やれたり、半分やれたり、全然やれなかったりしながらその日を閉店ガラガラして眠る。それは当たり前のことなどではなく、有難いことだと思う。散歩中のもっこもこのワンちゃんを見て思う。そっか、ニンゲンって体毛が少ないなぁ。よくこんな少ない体毛と柔らかい作りで毎日無事だな、と。パートは気分転換になる。年齢もライフステージもライフスタイルも異なる女性が集まって働く。気分転換になる。お金も必要。だけど、やり過ぎると精神力も体力も持っていかれてしまう。元気な時にはなんてことない物事が、ダメージとして降りかかってくる。私の疲れも苛立ちも、パートナーにも、もう一つの仕事にも関係ないのだからとは思うのに、置き場がなくて破裂しそうになる。ああ、行きたくない……と思いつつパートに行く。数か月前に着任した40代の社員さんがいる。独身の女性で、恰幅がよくなんというか「昭和の40歳」である。パート先はヤンママと大学生が過半数を占め、平たく言うと気の強い美人が多い。職場で異彩を放つ彼女に対し、最初は皆態度から「何でこの人が社員?」がにじみ出ていた。彼女にも絶対に伝わっているのに、いつも楽しそうで、ユーモアに溢れ平然としていた。元の性格というものはある。だけど、大人が「いつも」楽しそうにするのは意志の力だと思っている。着任して数か月で彼女に心を開いて話す人もたくさん見た。信頼され職場の雰囲気をけん引している。彼女がいる、というだけで安心する。職場に行きやすくなる。行きたくなる。こんなふうになりたいな。と思いながら、ふと思った。私、常勤講師の時、まだまだ若かったし比べ物にはならないけど、彼女のように振舞おうと努力してた。「常勤だから」という一言で、何でこんな……を飲み込んでいた。これはパートだから、あの頃と同じ熱量のコミットを仕事に求められるのは違うと思っている。なんか嘘ついてない?退化してんじゃねぇよ!もっと、本気で生きろ!!!今日、仕事をしたなぁ。楽しかったな!って思って生きるほうが好きってだけでそれは正解でも不正解でもなく「そうしたい人だから」って話なのだろう。何かを始める時、最初は嘲笑されることがある。できると思ってんの?とか、頭が悪いから無理だよ、美人じゃないから無理だよ、若くないからetc。いろんなことを言われる。でも、一定値(その集団での「さすがに認めてあげてもいいかな…」)を超えると流れが変わる。この流れが変わる瞬間は、今の所何をやっても来る。私はあまり理性的ではないからか長期的なビジョンを持って、計画表を頭の中に描いて耐えるというよりは「俺は!これを!するんじゃーーーーい!!!!」が常にあって魔法瓶にでも入れたの?ってくらい冷めない。「使えないおばさんですまんな!だが、こんなの屁の河童だよ。新卒から海外のアウェーで鍛えてっからよ。コミュニケーションの横綱相撲を魅せてやるぜ!」でクソクソのクソ!になりながらやるんだよな……途中から、クソクソのクソ状態を楽しんでる気もする。。自分勝手な「俺はこれをするんじゃい!」で始めたのに思いもよらない出会いや展開があったり振り返ると、自分だけではできなかったな…と思うことばかりになる。この、魔法瓶に入った「俺はこれをするんじゃーーーい!」がパート先では時々消えそうになって冷めちゃったなぁ……って瞬間もあって周りのおかげで何度も温め直してるんだけど一応まだ本業にしている、日本語を教えることに関しても、もちろんまだある。何度か手放して、戻って時々、浸かり過ぎて「お腹いっぱい。ちょっとしばらくいらないな…」って思ったりするけど放っておくとだいたい「俺はこれをするんじゃい!」になる。パートに行くと「大人だから」の一言で我慢することが多すぎて何で互いに給料をもらってるのに、大学生に快適にお働き頂くためにこんなに手取り足取り尻拭いをしなきゃいけんのだ…ちょっとでも注意すると大げさに傷ついたアピールをしそのくせ態度は((私は一端に稼いでます。対等です))なんだもん。嫌になっちゃうよ。どのみち「大人だから」を振り絞るなら「先生」と呼ばれる仕事のほうがいい。相手は払う人でこっちは得る人って違いがあるし、それも仕事のうちと割り切れる。なんなんだよ……あーー!!!って思っていたら主婦仲間から「これぶっちゃけメンバーで疲労具合変わる仕事だよね」と言われ「もっと働けないこともないけど、やり過ぎると病む。私は下っ端だけど、教育係だよね?よくやってると思うよ。週3が私の限度かな。それ以上やったら夫に理不尽に切れちゃう。お布団から出たくないよ~って騒ぐ。もっと稼ぎたかったら別の仕事探すと思うけど、現状はこれで生活できてるからしばらくやろっかなって感じ」って話だった。自分とは違う世界観と温度感にはっとした。そっか。「適量」とか「適温」って自分で探っていくんだ。全力を尽くして修練するのがすべてじゃないし、別にしたかったらしてもいい。そして、俺はこれをするんじゃい!!!の人と、お布団から出たくないよ~の人も仲良く珈琲を飲んで「なんか星座って13個あるらしくてさ、それだと私蛇使い座なんだよね」「え?いつ増えたの?」「いや最初からあったらしいよ」「聞いたことないよ」なんてどうでもいいことで笑うことができる。同じじゃなくても、仲良くなれる。「何が君の幸せ、何をして喜ぶ」そうだ、アンパンマンの歌の出だしのこれ、なんだろうな。休憩中に1つ400円もする硬いパンのサンドイッチを食べてる時に働いたお金で好きな物を買って食べてる。美味しい!生きてる!!!って思う。知らない人として始まった授業が終わることを互いにちょっとだけ惜しんだり全く聞いたことがなかった町の名前を見ると、性格をよく知る学習者を思い出すようになる。その人にとっても、キッコーマンを見ると楽しかったことを思い出したり教えた日本語を全部忘れてもああ、なんか楽しかったな。って思いが残ったらいいなと思う。そうした、充足感をふとした時に感じるけれど同じくらいクソクソのクソ!!があってやってらんねーよ!の連続を、無理ない程度に楽しめたらと思っている。