心の赴くままに -31ページ目

マッカーサーと日本

<マッカーサーが常宿にしていた315号室>
明治36(1903)年に陸軍士官学校を卒業したダグラス・マッカーサーはその後9ヶ月にわたり父、アーサー・マッカーサー中将とアジア旅行をし、強烈な印象を受けたと自伝に書いている。とりわけ日本は思いで深かったようで、2人目の妻となったジーン夫人との新婚旅行先も日本だった。都合4回の来日の際に彼が”常宿”にしたのが、横浜・山下町のホテル、ニューグランドである。
昭和20(1945)年8月30日、5度目の来日は、皮肉にも大好きだった日本を占領統治するためだった。厚木飛行場に降り立った時、「閣下、これからどちらへ?」と問われた彼は、一言「ホテルニューグランド」と答えたという。思い出のホテルへ”帰ってきた”彼を迎えたのは、同ホテル2代目会長の野村洋三の握手だった。後に「ヨコハマのミスターシェイクハンド」と呼ばれて世界のVIPに愛された人物である。野村がまず口にしたのは、何のもてなしもできないという詫びだった。
がそのようなもてなししかできないホテルのボーイにも、彼は礼儀正しく会釈をする人物だったという。そしてその数日後、横浜市民に大量の援助物資が届けられるのである。日本の戦後の復興は同ホテルから始まったのかもしれない。
この時、彼はわずか3日の滞在だったが、同ホテルは315号室を今日に至るまで「マッカーサーズスイート」として記念にしている。

「誰かに教えたくなる「社名」の由来」
P56、「(株)ホテル、ニューグランド」  より