何か書くべきか書かぬべきか解らない状態ですが
3月11日に仙台にたまたま帰省していた先輩のお話に基づいて書きます。(3月22日時点での話)
3月11日に起こった東日本大地震の事で記録ような事をちょいと
・ワタクシの住む町田エリアでは地震直後に停電したが
社長が停電復帰するまで会社にいろと言うので
退社命令が無いため定時まで会社に居残り
定時で帰ることになるが停電は復活することなく暗い街の中を帰る。
信号までも消えているので大きな通りでは交通渋滞が発生しているので
いつもの裏道を通り家まで帰宅
家に帰ってももちろん停電の為に真っ暗で何も出来ず
地震の惨状が解らないまま余震が続く中で就寝した。
(懐中電灯はあるが携帯の電池残量の方が気になった)
深夜1時頃に停電から復旧をした。
・関内エリアでは建物の壁の崩落が結構ある。
一部、歩道が凸凹になってるとこもある。
(4月23日現在もいまだに修復できず)
・仙台では(ここからは実際に聞いた話になります)
会社の先輩がたまたまその日は実家の仙台(長町)に戻って両親の面倒を見てる時に地震が
家の中は散乱したが、過去にあった宮城県沖地震の教訓ですぐに外には出なかったそう。
宮城県沖地震の時は地震→外に出て屋根からの瓦や塀が倒れて亡くなられた方が多数いたそうです。
地震がおさまってからようやく外に出るが屋根瓦が全て落ちた程度で建物は無事だったそうです。
ただ家の中はガラスの破片が散乱している為に土足のまま家の中へ
ひちまず片付けと、同じ仙台にいる親戚と連絡をとるが携帯基地局がやられて通信エリアが遮断している。
ご両親は一時避難所に預けて、家の片付けとガスが遮断されているが、水は出ると言うことで
その日はカセットコンロでお湯を30分かかって沸かしてカップ麺で過ごした。
この状況の中、地下鉄の地下の部分は動いているそう。地上に出ると線路がグニャグニャでダメ
親戚一同が集まり、毎日の日課は買いだし
2時間以上待って1人10点まで買えると言うもの
電池・ガスボンベ・米・カップ麺・水等から無くなるそう
会社の人がラッキーだったのは水が出ること
ほとんどの避難所では水が出ない為、それはそれで苦労
買い物も大変だがガソリンは6時間待ちで入れられれば良い方で
待っても入れられないこと多数
仙台のガスは津波により壊滅的でお湯が沸かせないので風呂には入れず
帰ってくるまでの10日間は入れなかった。(今の季節は寒いからまだいいけどこれからは・・・)
仙台にはマルちゃんの工場があるそうで、そちらも津波による影響で工場が半壊し
海にカップ麺が大量に流れているのを拾って食べた。
仙台の備蓄倉庫が海よりにあり津波で全部持って行かれた。
避難所では食事の配給はあるが、自宅待機の人には渡せないと
現金は銀行から顔写真付き身分証明書で10万まで
・会社関係
3月14日に東北特殊鋼より装置を直してほしいと依頼があったが
その電話を頂いた本人も会社の状況が解らない
電気が来ているのか?装置は倒れているのか?
担当者はガソリンがなく出社が出来ない。
4月5日頃電話があり装置は何とか起動出来たのでその連絡があった。
東北大学は4月末まで休校
ワタクシの入れた装置は無事でしたが
転倒防止のバンドをしていたパソコンラックごとひっくり返った。
ひとまず電気は入ったとの報告あり
建屋によっては水タンクに亀裂が入り建物が水浸し
長町エリアの協力会社は建物は大丈夫だったが
建屋内の散乱で結構ダメージ有り
多賀城にあるSONYでは仙台新港が近くで
建屋自体は2m高いとこにあるが
津波の影響で1階の1.5mまで水が入り込んだ
SONYの社員さんは最初、広場に避難したが
津波が見えて慌てて建屋の最上階に逃げて難を逃れたそう。
報道にはのらないが夜はゴーストタウン化している。