先週の木曜日のことでした。
普通に会社に出勤し、仕事をしていました。
すると父の携帯からの着信があったので出てみると、それは親戚のおじさんからの電話でした。
父の携帯を使って他の人が電話をかけてくるということは、ただ事ではないとは思ったのですが、おじさんが言うには
「お父さんの具合がちょっとおかしいから、今すぐここに来なさい」
ということでした。
仕方ないので職場からそのまま、その日は急きょ有給ということにして新幹線で実家へと向かいました。
すると、父は玄関先で横たわっており、意識もあるし 特にどこか激しく痛いところがあるという様子でもなく簡単な会話もできる状態ではありましたが、自分では起き上がれない様子でした。
親戚のおじさんと、近所のおばさんが近くで様子を見てくれていました。(救急車で病院に行くことを勧めてくれたそうですが、本人は嫌がっていたということでした。)
なのですぐに父を抱き上げて(後で病院で測定したところ体重35kgしかない状態だったので、抱えることができました)、総合病院に連れていき、緊急ということで見てもらいました。
CTなども取り、かなり精密に検査してもらいましたが、症状はそれほど深刻ではなく、基本的には極度の脱水症状、および以前から慢性的に悪い腎臓の機能(既に人工透析を開始する方向で半年くらい前から相談していました)の低下によるものということで、2~3日入院して調整すれば、上手くいけば週明けには退院できるかも知れない、という話でした。
その夜は個室に入院し、だいぶよくなった様子だったので、面会時間が過ぎたところで実家に一人でもどり、一泊しました。
その時は、これから先の入院費や、もしも退院できた場合の介護についてどうしていくかを考えていました。
そして翌朝病院に行くと、父の容体は昨日とそれほど変わらない様子でした。
「ああ、家に眼鏡を忘れたなあ」などと父も言っており、意識ははっきりしていました。
その日の夕方くらいに、医師から今後の治療方針や入院期間などの方向性についての打診があるということだったので、その話を聞いて入院が長引きそうであれば 一旦東京に戻ろうかと思っていました。
ところが。
午後に入ってからだんだん容体が悪くなり、意識があるのかないのかわからない状態になりました。
血圧が、朝の段階では上90台だったのが上60台となり、そして上52の下27という、生命の維持が難しい値となってきました。
さらに白血球の数が極端に減ってきているという状態となり、先生の話ではおそらく体の抵抗力が低下しているところに感染症を引き起こしているのではないかと思われる、ということでした。
それから、午後3時を過ぎるころには呼吸がかなり怪しくなり、時々呼吸がとまったか?と思って呼びかけるとまたしばらくして弱い呼吸を再開する、という状態になりました。
もはや意識はなく、おそらく本人はあまり今の状態がわかっていない(言い方を変えれば、あまり苦しそうにも見えない)状態でした。
そして
午後5時10分、心肺停止となり、先生が瞳孔を確認して、父が天国へと旅立って行ったことを告げられました。
ほんの数時間前までは意識のあった父でした。
ほんの一日前までは、退院後の生活を検討していた父でした。
ほんの数日前までは、家で普通に生活していた父でした。
ほんの一週間前には、一人で身内の一周忌に参列していた父でした。
ほんの10日前には、自分で携帯電話のバッテリーを新品に交換していた父でした。
ほんの一か月前に、家の屋根を修理することにし、外壁の塗装をし直して、何の疑いもなくこの先10年20年とそこで住み続けるつもりだった父でした。
これが例えば交通事故にでもあって突然亡くなってしまったとか、末期がんに侵されていたとか、そういうことならこの事態も、つらいこととはいえ、まだ納得できたと思いますが、父の死は、あまりにも突然のことでした。
それでも、その亡くなる前の晩に、カミさんが機転を利かせてうちの子の声を電話越しに父に聞かせてくれて、父はその孫の声にとてもよろこんで、「おじいちゃん、また遊んでね!」という声に「はいね」と答えることがその時はできたので、そのことは良かったと思います。
3年半前に母が亡くなり、そして先週父が亡くなり、兄弟のいない自分は、いずれこういう時が来ることはわかっていたこととはいえ、気持ちの上では突然精神的な孤独感と、父に何もしてあげられなかったという罪悪感に苛まれ、また「家を受け継ぐ」という重い任務を背負うことになったのでした。