昨日の記事に書いたように、今日は仕事の上で大きなプロジェクトにひと区切りつく、特別な日になりました。
今朝の6:30には会社にいました。
これはおそらく自分の中の、日米通算のもっとも早い出勤時間だと思います。
朝の9時前後が肝心な時間だったので、可能な限り早く会社に行っておきたかったのです。
常識的に考えれば、何も今日そんな朝早く来る必要はありませんでした。
これまで数多くの人がこのプロジェクトにかかわってくださり、慎重に慎重を重ね、「ダブルチェック」を何度も繰り返し、ここまで持ってきました。
今日になって突然失敗する、ということはほとんど考えられませんでした。
しかしながら、これまで幾度となく、「99.999999%大丈夫」と思われていたことが失敗するところを目の当たりにしてきました。
プロジェクトが大きければ大きいほど、かかわる人間が多ければ多いほど、プロセスが複雑ならば複雑なほど、信じられないようなところで想定外の事態が起きて、0.000001%しか起こりえないはずの問題が、きわめて高い確率で起きてしまう - ということを、この会社で嫌というほど学びました。
だから、実際に形になるまでは、気を抜くことはできませんでした。
そして朝8時27分。このプロジェクトが日の目を見るときがやってきました。
懸念されていた問題もなく、すんなりとその時はやってきました。
さて、その時、自分の中に何か変化が生じたとか、感動が湧き上がってきたとか、そういう特別なことがあったかといえば、残念ながらほとんどありませんでした。
しかし、こういうことで得られる価値や感動は、後からじわじわとやってくるものではないかと思うのです。
今、この、ほんの今朝の一瞬の出来事だけですべてが語りつくされるほど簡単なことではなく、「振り返ってみたらいつの間にかとてつもなく長い距離を歩いていた」というような類のものだと思います。
・・なんとなく、槇原敬之さんの「僕が一番欲しかったもの」の歌詞を思い出しました。
歌詞の中で彼は、素敵なものを何度も拾ったのだけれど、そのたびにそれを彼以上に必要としている人にあげてしまい、結局最後には彼の手の上には何も残っていなかったけれども、振り返ってみると、彼のあげたものでたくさんの人が幸せに笑ってくれたことが、彼が一番ほしかったものだったのだとわかった、というとても素敵な歌ですが、自分がこのプロジェクトを通してやってきたことはそれに近いものだったのではないかという気がします。
もちろん、このプロジェクトはボランティアでやってきたわけではなく、営利目的でやっているわけですから、その歌のように「何も手に残らなかった」というわけにはいきませんが(笑)、それでも、自分はこのプロジェクトを遂行する中で、自分の利益を中心に物事を考えるのではなく、全体がうまくいくことを第一にしてきました。
今思うと、このプロジェクトが始まる前にはそれほど強い信頼関係のなかった、同じ部署内の同僚のみなさんや、関連部署のみなさん、社外のパートナーのみなさんなど、多くの人との信頼関係を強くすることができたように思います。
そういうことは通常簡単にはできないことですが、人生の中で最も重要なことのひとつだと思うので、それだけでももうすでにこのプロジェクトをやってきた価値があったのかも知れません。
きっと、まだまだ、このプロジェクトから得られた多くのことに気づくことが今後あるものと思います。