福本先生の漫画に表現される人間の本質 | 気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ

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日常感じた心の世界に通じることや脳の働きに関することを書きながら、PCや携帯やプログラミングなどの技術的なことなども書いていこうと思います。

最初に福本先生の漫画を読んだのは、ヤングマガジンに連載していた「カイジ」でした。
この冬、映画にもなりました。



最初の印象は正直「変な絵だなあ」というようなものだったのですが、何回か読むうちに、登場人物の会話や発想、極限状態での行動などが鬼気迫るものがあり、正直、漫画でこれほどの人間心理を表現することが可能だったとは今まで思わなかったというほどの、すごい漫画であることがわかりました。

誰もが理解しているように、人間とは極限状態に追い詰められたときに、その本質を露呈するものだと言われています。
福本先生の漫画には見事にその「露呈する本質」が表現されており、先生はよっぽど人間の心理を研究しているであろうことが見受けられます。

先生の漫画でテーマにしているものの多くは麻雀をはじめとするギャンブルです。
自分はギャンブルとは縁のない人間で、かつギャンブルという物自体毛嫌いしているので、本来ならばこういった漫画は縁がないはずなのですが、これはもう、ギャンブルがどうこうという狭い枠を越えた「人間心理の描写漫画」だと思います。
例えば先生の代表的作品のひとつである「アカギ」は麻雀漫画ですが、極論麻雀のルールを知らなくても、その人間心理の描写のみで楽しめると思います。


また、先生の漫画には「名言」がかなり含まれています。痛いところを突かれているというか、人間の深いところの心理を突き刺してくる言葉が結構あります。
この名言があまりにも多すぎて、それだけで別の本になっています。

先生の漫画の中のセリフで、なぜかよく覚えているのが「大した人間でもないくせに、大そうに扱ってほしい、そう思い続けているだけで実際には何も行動を起こしていない、そんな人生だったんだろう」というものです。

なぜこのセリフをよく覚えているのかと言えば、それはまさに自分に対して言われているような言葉だったからだと思います。
思えば自分は、大した人間でもないくせに、大そうに扱われたいと心の奥底で思って生きてきたように思います。
だから、馬鹿にされたり軽く見られたり認めてもらえなかったりすると、必要以上に腹を立てていたように思います。
自分を含めて、ダメな人間というのは、ダメなくせに大そうに扱ってほしいと思っているのではないかと思います。
逆に本当に実力がある人間というのは、別にどういう扱いを受けてもあまりそのことは気にしないで、もっと重要なことを常に考えているような気がします。


また、自分のように「自分は普通の、中流レベルの生活をしている人間だ」と思っている人は、例えば何のとりえもなく、毎晩安い酒で酔いつぶれて、土日は競馬かパチンコ、いくつかのサラ金から金を借りて、若者からは「オヤジ臭い」「キモい」「ムサい」などと言われて避けられ、疎まれているような人が、実は何を考えて、どういう未来を想像しながら生きているのか、真剣に考えたりもしないように思います。おそらく何も深く考えていないに違いない、くらいにしか思わないと思います。
しかしそういう人達は、実際には相当深く物事を考え、どう生きるかを研究しているものであるということに、先生の漫画を読んでいると気付かされます。

人間の思考能力というのは実はそれほど個人差があるものではなく、その使い方によって表面上の評価、つまり学校の成績や仕事の出来などに個人差は出るにせよ、本質的に脳を回転させる能力というのはあまり差がないのではないような気がします。
一見、何も考えていなさそうに見える人こそ、実はその本人の中で深く長く考え続けていることがあったりするのではないでしょうか。ただ、それを他人に話したり、シェアしたりすることはしなかったり、発想があまりに現代社会の現状からかけ離れているために表現できなかったりするだけで、実は相当考えているのではないかと思います。


・・話がそれましたが、先生の作品にはそういった人間の深い心理を見事に描写しているものが多く、読み応えがあります。

先生の作品の中で今一番楽しみにしているのは「アカギ」の鷲巣編の終わり方です。
もうかれこれ5年以上も、たった一晩の数時間の出来事のために連載が続いているのですが、いったいどのような心理描写がこの先なされるのか、負けるであろう鷲巣氏は極限の心理状態の中で何を思うのか、致死量の血液を抜かれてギリギリ生きているアカギは、初めて生きている実感を感じた後どのように変わっていくのか、注目したいところです。