これは以前同じ職場にいらっしゃった大先輩と話をしているときに話題になったことなのですが、どうやら人間というのは、「自分の思い込みで作られた世界を見たり聞いたり考えたりしているらしい」ということです。
これにはいくつかの根拠があります。
まず、人間の視覚について、こんなデータがあります。
人間の網膜およびそれを直接処理する視神経で、本当に見えている映像というのは極めて荒くて狭いものであり、PCでいうとVGAクラス(640X480ピクセル)程度なのだそうです。
もちろん「それは矛盾しているだろう!」と思われるのは当然です。
なにしろ、今こうして我々はPCのディスプレイを見ているわけですが、その解像度は、今時のPCならまず1280X1024くらいは軽く越えているはずで、それを一度に見ることができているわけですから、それより人間の視覚が劣るというのはおかしい、ということになります。
ところがこれは実は、見えていない部分は脳内で補完されていて、あたかも広い画面が見えているかのように感じているだけなのだそうです。
したがって、想像を超えるようなことが自分の見ている映像(いや、見ているつもりになっている映像)の中で起きると、それは瞬時には認識できないのだそうです。
・・どうしても信じられない方は、北岡先生の錯視のページの「蛇の回転」をご覧ください
じっと見つめている部分は回転して見えませんが、その周囲の部分が回転して見えるはずです。
このような錯覚は、本当に見えている映像とは違うものが、脳内で補完されているために起きるものです。
また、聴覚や嗅覚などにも、同様の「補完作用」があるそうです。
そして、会話に使用する言語も、良く考えると補完のために生まれた道具と言っても過言ではありません。
「単語」があるおかげで、複雑なものをいちいちすべて表現しなくても、一言で表現することができます。
例えば一言「どうぶつ」と言えば、いちいちすべての動物を表現しなくても、相手には伝わります。
しかし「どうぶつ」という言葉を聞いた側は、そのたった4文字を元に、今までの自分の経験や学習から補完をして、本来の「どうぶつ」の意味を認識しますので、それは必ずしも話し手がイメージした「どうぶつ」とは一致しない可能性もあります。話し手は野生動物のようなものを伝えようとしたのに、聞き手はペットのような動物を脳内で補完してイメージしているかもしれません。
人間が「補完」をしながら会話をしている以上、こういった問題は避けることができません。
このように、どうやら人間は実際に5感から入ってくる情報に「補完」をすることで、脳内で何十倍何百倍もの情報に膨らめて、理解しているようです。
この「補完」は、年齢を重ねれば重ねるほど大きく作用する傾向にあるようで、おじいちゃんやおばあちゃんに全く新しい情報を伝えることが困難な理由も、彼らの「補完」があまりにも大きいために純粋に入ってくる情報をほとんど「補完」で覆ってしまうからだと考えられます。
そう考えると、この物理空間で起こっている真実と、自分の脳内で感じているものとはかなり違う、まるで偽りの世界で生きているような気分になってしまいます。
しかし、自分はそれでもいいのではないかと、今は思います。
この物理空間でおこっていることはあくまで表面的なものであり、結局重要なのは、心の世界で自分の魂・心が充実感や本物の幸福感に包まれているかどうかだと思うので、あまり物理空間からの情報の正確さは重要ではないのではないかと、今は思うのです。