以前、このブログの中で幸せの実体の記事を書きました。
そこでの話は、我々人間が求め続けている幸せというのは、心の奥底から湧き上がるような充実感で満たされるような感触、つまり自分の魂が喜んでいるような状態であるということでした。
しかし最近思うのは、幸せとはそんなに難しいものなのだろうか、ということです。
実はもっともっと身近に、あるいは目の前に、幸せとは存在するものかも知れません。
人間というのは「慣れてしまう生き物」なので、以前は幸せと感じていたことでも、年月が経つにつれてそれが普通の状態になってしまい、まるで自分は幸せではないような錯覚をしてしまいがちです。
自分も思い当たる節が多数あって、例えば今住んでいる部屋に不満がたくさんあって、蛇口ひとつとっても気に入らないという話を以前書いたことがありましたが、振り返って考えれば、初めて上京してきたころに住んでいた四畳半一間のトイレ共同風呂なしのゴキブリとネズミと同居していた部屋から比べたら天国です。
その四畳半一間の物件にしても、縄文時代や弥生時代の人から見たら天国のような家に見えたに違いありません。
また、例えば交通事故などで足が不自由になってしまった人は、「再び自分の足で自由に歩くことができたら、どんなに幸せだろう」と日々考えながら、苦しい治療やリハビリを繰り返していらっしゃるわけですが、我々のようにそういう問題のない人は、「自由に歩ける喜び」を噛みしめたりすることはまずないと思います。
人間は成長すること・進歩することを求める性質がありますから、どうしても先へ先へ、上へ上へとより良い状態を求めてしまいます。
そういう性質があるからこそ人類もここまで進歩することができたのだと思いますが、その一方で、先に述べた「慣れてしまう」という性質もあるために、手に入れた幸せをいつしか忘れてしまい、より上へと求めてしまう傾向にあると思います。
自分もそういう傾向が強くて、さらに上、さらに上と追い続けるあまり、現状をあっさり捨ててしまうことがあるため、それまでに達成したことの喜びやそれによって得られた幸せを見失うことが多かったと思います。
しかしそれは非常にもったいないことだと思います。
だから、「時には振り返って、今の状態がどれほど幸せなのかを再認識する」ということもとても意味があると、今は思います。
今の状態がいかに幸せなのかを常に振り返って実感することで、自分の内面からまた新たな活力が生まれて、その活力がきっと、とても良い形でさらなる幸せを作っていくのだと思います。
それはきっと、「今の状態が不満だから」とか「今の状況を打破したいから」というような、ネガティブなパワーででっちあげた幸せらしきものとは全く違う質のものになるのだと思います。