大切なこと | 気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ

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日常感じた心の世界に通じることや脳の働きに関することを書きながら、PCや携帯やプログラミングなどの技術的なことなども書いていこうと思います。

先日久しぶりに、エンジニアとして大先輩であり また人生の取り組み方に関してよく話をしてくださる素晴らしい方にお会いしました。
彼と話をする中で、基本的だけれどもとても大切なことを思い出しました。
それは「物事を楽しみながらやることで、何倍もの、いや何十倍もの効果を得ることができる」ということです。

実を言うと、自分は小学校低学年くらいまでいわゆる「勉強のできない子」で通っていました。
自分が小学校に入る時、うちの母親は「はたしてこの子が、みんなと同じように机に座って授業を受けるという超難しい行為が、本当にできるようになるのだろうか」と真剣に心配したそうです。
実際、自分は小学生になったばかりのころは、まったく授業に参加することができませんでした。
一人でノートに絵ばっかり書いていました。
当然、「通信簿」の成績はひどいものでした。

ところが、そんな勉強のできない子だった自分は、ある時転機を迎えました。
それは、今でもよく覚えていますが、理科の実験で「電気回路」を扱った時でした。
豆電球と電池ボックス二個とスイッチをリード線で結んで、直列回路と並列回路を作って豆電球の明るさの違いを確かめるという実験でした。
その実験が面白くて面白くて、それが「学校の勉強である」ということを忘れていました。
あまりに面白かったので、教科書に載っていないような結線の方法を考えたり、別の回路を作るためにもっと高度な内容が書かれた本が読みたくなりました。それまで漫画しかまともに読まなかったのに、です。
その時の理科のテストは、当然の成り行きですが、満点でした。

その時思いました。
ああ、自分はこれまで周囲から『勉強しろ、勉強しろ!』と言われ続けることで、勉強=つまらないこと、苦痛なこと と勝手に思い込んでいたけれど、本当はそうではないんだ」と。
当時の日本には、勉強というのはそもそも苦痛なもので、先生が黒板を使って説明する単調なことを我慢して聞いて、機械的にドリルや宿題を淡々とやることである、という暗黙の了解があったように思います。

しかしその時自分は気が付いてしまいました。
なにも、「勉強=苦痛なこと」とこじつける必要はないのだと。
そして、「知らなかったことを知る」ことや「できなかったことができるようになる」ことは、とても楽しいことであり、教科書に書かれていることの中にも実は面白いことがたくさんあるということを。(ただし、教科書の構成や展開が単調なので、面白そうに見えないという問題はありましたが)

また、授業で積極的に発言をすることで、自分が参加している感覚が生まれ、夢中になっているうちに授業が終わっていることが多くなりました。
そうしているうちに、「勉強ができない子」だった自分は、苦痛に耐えることなく(=嫌々机に向かうことなく)、ある程度まともな点数を取れるようになっていました。

中学以降はさらに効果が上がりました。
中学以降、特に数学などではそれまでの小学校の算数と違って、「そうなる理由」を重んじているのはご存じのとおりです。
もともと人間は、ある結果を知ると その原因・そうなった理由を知りたくなる傾向にありますから、中学の数学の授業などは興味をもって受けるとかなり面白かったりします。
一度本気で「これは面白い!」と深層心理のレベルで思ってしまうと、その後少々ハズレがあっても脳内で調整してしまうようで、その面白さは結構続くものだと思います。

結局、その法則(楽しいと思いながら取り組むと効果が上がる)はあらゆることに通用するようで、例えば仕事なども「この仕事は楽しい!」と心底思いながらやるといい結果につながることが多いような気がします。

おそらく「楽しい」と脳が思うことで、体中の細胞がその楽しみをより味わうために活動を起こし、それがやがてそれを達成するために必要な「気の流れ」を作り、最終的には必要なものが引き寄せられて、成功していくのだと思います。