ブログの更新、ご無沙汰していたなぁ・・・。

 

今日は、4月24日に永眠した母の納棺

 

コロナ渦で葬儀の態様も変化を余儀なくされ、家族葬で集まる機会を軽減するために通夜は行わず、告別式のみの葬儀

 

今日の納棺に立ち会うのが、私とお姉、近所に住む最も母と中の良かった親戚、明日来られない、孫同然のお向かいさんの息子と私の弟分の5人・・・事実上、通夜の代わりです。

 

一番可愛がっていた息子も、来ることは叶わないのは、母にとって心残りかも知れませんが、世話好きな母のことですから、今頃は、息子達の元で曾孫達の生活を眺めているかも知れません。

 

私を息子として迎え入れて37年、生みの母と暮らしたのが10年足らずですから、4倍近くも親子として生活してきて、お姉ちゃんと結婚した後も「婿さん?」と訊かれると「息子!」と言い切り、頑として譲らなかった母

 

親子喧嘩も沢山しましたし、言いたいことを言い合えた中でしたし、認知症となってからも、笑うことは忘れず、世話をしてくれたヘルパーさん達にお礼を言いに行った時も、小柄なせいもあって「可愛いお婆ちゃん」だったと褒められていた母

 

この1週間、考えることは多かったけれど、多くの人と違う死生観を持ち合わせる私は、これも一つの事実に過ぎないと受け入れていますが、感謝や寂しさは、生死に関わらず、別れの感情として存在するのだと改めて感じています。

 

今は、最後のお見送りをつつがなく終えることを目指していますが、かえすがえすも残念なのは、多くの人に見送って頂けないこと・・・とある議員さんも「お母さんには町内会を引き回してお友達に紹介してもらったり。本当に世話になったのに、挨拶も出来ないのが悲しい」と言われましたし、世話好きの母だっただけに、同様の思いを持っている人は多いと思います。

 

派手好きだった母だけに、葬儀の場で秘書時代からを知る総理からの弔文でも読み上げられていたら、棺の中で手を叩いて喜び弔問客に自慢していたのではないかと想像すると・・・なんて考えてしまいます。

 

さーて、これから準備しますか。