軽症者として自宅待機の男性死亡

4/22(水) 20:22配信

共同通信

 埼玉県は22日、軽症者として入院せずに自宅待機していた県内の50代男性の容体が悪化し、21日に死亡したと明らかにした。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200422-00000154-kyodonews-soci

トリアージで対応するということは、こういうこも想定しなければならないことを、どれだけの人が理解しているのだろうか?

 

トリアージという災害時の対処方法は、命の選別とも言えるものであることは、これまでも記事の中で何度も述べてきたが、これからも何度も伝えていこうと思う。

 

こぼれる命を無くすというのが理想の医療であるが、災害等で一気に患者が医療リソースに対し許容量を超えるような人数に及んだ場合、リソースで助けられる命の最大数を目指すものであり、それは、生きていても手の施しようが無い人を治療から外すだけでは無く、通常ならば、余裕のある医療リソースをフル活用して例え数パーセントでも可能性があるなら治療する患者を一人治療から外すことで、二人以上の人を助けられる可能性があるならば、そちらの治療を優先するということである。

 

その点が「命の選別」と言われる所以であるが、それは予想外の急変や、入院できなかった人が亡くなることも想定内であり、それでも、より多くの命を救うことを第一義として対応することであり、それは自分の家族よりも助かる可能性のある人を優先するという不文律の下に成立している行為である。

 

「自分の家族なら同じ事が出来たのか?」と、非難する人を見かけるが、それを行うのがトリアージであり、心を鬼にしても、やり遂げなければならない医師にとっても、地獄の業火に身を置くような行為なのである。

 

トリアージは既に行われており、有事における「命の選別」が行われなければ、数多くの命を救えない状況になっていることを日本人全てが理解するべきだと思う。

 

平和ぼけした日本人が、医療の最前線にいる人達、そこに対応する立場にある行政機関を非難することに終始していると感じる時が多々あるが、今は国家存亡の危機であり有事なのだという意識を持ち、最大限の協力を惜しまないことが重要なのだと伝えたい。

 

経済的窮地に追い込まれている人達の命と新型コロナによって

失われる命の、どちらが多いのか?

 

これも、事実上のトリアージなのではないだろうか?

 

経済が再開されるとき、発展途上国のように新型コロナで失われる命を想定内になる可能性があることも伝えておかねばなるまい。

 

国に期待している人も多いが、国にも限界があるし、国が国民を守ると同時に、国民も国を守るという相互関係があって、国家に期待できるのではないだろうか?

 

鶏と卵、どちらが先か?ではないが、経済を無視することは出来ないが、新型コロナが蔓延しても経済は崩壊するということも多くの人は理解出来ていると思う。

 

少ない救済支援であっても、何とか持ちこたえるしかない・・・としか、今は、言えないもが残念である。