今、マスコミが一番喰いついて、盛り上げている話題である。

 

私は、いくつかの条件付きで規制を厳しくすることに賛成であるが、同時に「かも知れない」という、将来への社会的危険の抑制を理由にすることが、人権の抑制に繋がることを否定する法理論を再考し、麻薬や飲酒、疾患を理由とする、心神耗弱による違法性の否定、少年法による少年への減刑を再考すべきだと思う。

 

確かに、高齢者の事故は問題であるし、高齢者の事故が増えているというのは、高齢者自体が増加の一途である以上、当然である。

議論上、必要なのは分母が増えているのだから、ただ増えているというだけでは無く事故率を比較する必要があり、起こす人と、起こさない人についての考察は絶対に必要であるというのはマスコミに対して公平な情報を与えるべきだと言っておきたい。

 

高齢者が増えている以上、高齢者の事故が増えるのは当然であり、免許の返納だけでなく、免許を取り上げるべきという意見を垣間見るが、それには大きなハードルがあり、それが、これまでの自主返納主体の規制になって来たかという話になる。

 

個人的な能力差、地方などでは車が生活に必要不可欠であり、農家などでは収入に直結するというのは、多くの人が思い浮かぶ、ハードルになる理由だが、事故を起こす可能性が高いという理由での立法化は、理屈の上で難しいのではないかと思うのである。

 

法というのは、実際には論理的に出来上がっており、理屈は必要不可欠なのであり、憲法に定められる人権の侵害を認めるに足る、正当な理由が必要であり、「起きる可能性が高い」という理屈を認めてしまうと、飲酒する人間は違反をする可能性が高い、精神疾患や引きこもりの人は犯罪を起こす可能性が高い、等々が認められることになり、テロなどは未然に防ぎやすくなるが、実際には、犯罪者の予備軍と考えられる者は全て逮捕できるような立法が可能になり、それは一方的な人権の侵害を認めることになり、立法府である国会の暴走を肯定しかねないということから、これまでも否定されてきた経緯がある。

 

つまり、刑法が、何故犯罪を未然に防げないかという理由が、ここにある。

 

社会の安全か個人の人権か、利益衡量しながら、抑制できる個人の人権の範囲を、今一度、考えなければ、ゴミ屋敷の問題など、同じように人権擁護の為に、社会の安全を犠牲にするという現状は解決されないと思う。。