ちょっとした偶然で「いぬやしき」というアニメを観た。
見終わって、ふと感じたのは人間の性善説と性悪説、そして「デスノート」と根底は似ているのではないかと言うこと
極論、自分が「いぬやしき」の立場になったらどうするか?
たぶん、デスノートの主人公のように、自分の中の正義で世の中を攻撃し始めるのでは無いだろうか?
核兵器廃絶に同意しない国には、自らが持つ核兵器を自爆させて嫌でも核兵器を無くすように仕向けたり、領土問題のある場所には、双方がその領土領海に入れないようにしたり、領土侵略や圧政による自治区問題は圧政側が近づけなくなるまで攻撃するとか・・・
それは、相手側に取ってはテロであり単なる武力攻撃でしかないとしても、自らの正義基づきやってしまうだうう・・・それは力を持った瞬間から自らの善が悪と評価されても善だと思い込み行われる。
つまり自身では性善説でも他者からは性悪説となる人の矛盾というか、評価の違い・・・それが性善説と性悪説の違いなのではと感じた。
私が「いぬやしき」になったら、自分には被害が及ばないと思い込んで匿名で他者中傷したり、モンスター何とかいうのも、攻撃しちゃうんだろうな。
意外に、自分の暗黒面に気づいたのと、結局、自分も「やられない」と思うと何でも「やれる」嫌な人間の一人なのだと気づかされたアニメだった。(笑)
実は、私は、かなり、危険な人間らしい・・・。(笑)