平和を受動的に享受できるのは、積極的能動的に平和を獲得しようとする国家の国民であるからではないのだろうか?
座して、黙しているだけで平和が訪れるならば、誰も抗議の声なぞ上げる必要は無いであろう。
つまり、平和を求めて争うなと抗議の声を上げている人々は、座して、黙していては自分たちの平和は来ないと理解しているにも関わらず、自分たち以外は座して黙して平和を求めよと言っているのと同じであるということに気づいていない。
積極的平和主義でなければ、現代社会では平和を得ることは出来ないと考えられる。
つまり、平和とは勝ち取るものなのだという認識を持たねばならないということである。