子供の貧困が話題になていますが、そこで問題になるのは相対的貧困の定義


相対的というからには当然比較対象があるわけで、その対象が「標準的な家庭」に比較してというのですが、その標準的な家庭の定義がハッキリ見えてこない。


私が15年前に大学生をやっていたとき、ゼミやサークルの仲間を合わせて100人近く・・・少なくとも同学年だった50名近くのうち7割程度は奨学金を受けていたと思います。


奨学金で借金を作っても返せないというのが貧困問題だというのは、親が自活できている家庭と子供の収入をあてにしている家庭では、子供自体が背負う負担が違うので、理解はできます。


ただ、親が学費を負担しきれない家庭が増えているのも事実でしょうし、やりくりをして何とかしている人達も存在します。


絶対的貧困と違い目に見えないというのは事実ですが、救済という観点から言えば、絶対的貧困からということになるのは当然だと思うのです。


つまり、相対的貧困というのはその範囲が広く、単純に区切れないことが問題だと思うのです。


極端な話ですが、同じ程度の収入であっても定時制高校に通い自分でお金を貯めて専門学校に行った人もいれば、お金が無いと諦める人もいるということなのです。


私自身、定時制高校で様々なケースを見ましたが、自分が貧困の中にいるということ認めた子は、私の家内の古着をもらい、それを着て仕事に通い家計の足しと共に貯蓄、奨学金の元手にしたりと頑張っていました。


私から見れば、彼女は間違い無く貧困の中にいて携帯を持てないと嘆きながらも、自力で携帯を持ち、進学も果たしたのです。


こういう人助けて上げるべきだという意見が大勢をを占めるのではと思いますが、逆に考えれば助けが無かったことによって本人の努力が生まれ、本人に能力が上昇し、結果、より良い生活を得たとも言えるのではないでしょうか?


今の生活保護制度が抱える大きな矛盾、年金を納めてこなかったが故に年金を貰えないから生活保護の支給を受ける人が、国民年金を満額支給受ける人の倍近い収入を受けてしまうという現状・・・制度通りに頑張った人間が、制度を無視した人間より苦しい生活をするという矛盾は、弱者保護が、被保護強者を生んでいるということを鑑みれば、単純に、ただ金銭的負担を軽減すれば良いという話では済まないということが、この問題の難題だと思うのです。