ジャック・ビルヌーヴのはHALOに対するコメントを読んで、F1の原点を考え直すときなのではないかと思った。


安全性の向上は重要だが、そもそもスピードを競う限り危険は付きものである。


今回廃止になった予選方式もそうだが、モータースポーツの魅力は、ギリギリの世界にあることなのだと思う。


生と死、クラッシュか最速か、ストレートスピードかコーナーリング重視か、車体の造作についても、ギリギリそぎ落として作られる機能美が非日常、非現実の世界へと誘っているのがF1なのだと思う。


目に見えてスピードを求めない、ギリギリのラインが見えないショー的要素重視の追い抜きが、F1の魅力をスポイルしてしまったことに意義を唱える人は少ないのではないだろうか?


タイムが落ちても、ブレーキング競争でサイドバイサイドとなるようなレースを観て、スピードが落ちてつまらないというファンも少ないと思う。


求められているのは機能美の極地であるマシンで、人間離れした駆け引きを見せながらスピードを求める、命懸けのドライバー同士の争いなのだと思う。


セナというスーパースターの死が、F1の世界を訴訟となる世界へと導き出してしまったのはセナが求めていたものなのだろうか?


現代社会では、70年代のような命を軽視するような行為は認められないとしても、F1サーカスには一般人が耐えられないような死の恐怖と向かい合う勇敢なドライバー達の姿が不可欠なのだと思う。


ジャックの言う、HALOが無ければF1に乗れないドライバーはツーリングカーに行けば良いというのは、恐らくジャックの時代のドライバーは、命の危険があることを承知でF1社会に入ったという思いの裏返しなのではないだろうか?


アロンソの発言も含めて、もう少しドライバーという当事者の意見に耳を傾けてドライバーが乗りたいと思うF1がF1の原点回帰になるということを理解して欲しいと思う。