私は、自由とは節度を持って、原則、他者に迷惑をかけない、許容できないような不快感を与えない範囲での行動であると認識しています。


言論の自由の名の下に、SNSなどでシリアの難民に対し「他人の金で難民しよう」と書かれたイラストが掲載され、それに対してし「SEALDs」代表の奥田氏が批判したとネットで話題になっており、言論の自由を巡って論争になっているとか・・・。


自分は、根拠が希薄な批判を繰り広げているにも関わらず、他者の発言は差別だと批判する。


私は、このイラストもですが、フランスの風刺画でイスラム教徒を侮蔑するようなものも、奥田氏が繰り広げている根拠を論破されても尚、希薄な根拠で発言を繰り返す行為、山本太郎議員の自分の意見が通らないからと、むやみに混乱を招くような質問を議会で繰り広げること、この全ては、言論の自由には当てはまらないと考えています。


根拠の希薄な感情論は、デマと何ら変わらないですし、当事者を反感を抱くまで不快にさせているようなイラストや風刺画も言論の自由というよりは、言葉のテロではないかと思うのです。


根本的に争いを無くしたいと思うのなら、相手に対する理解や思いやりを忘れてはならないのだと思います。


私が、イラストや風刺画を描いた人や奥田氏に対する理解や思いやりが無いと批判する方もあろうと思いますが、少なくとも彼より優先されて思いやらねばならない人は、テロや紛争の被害で死傷した人、拉致被害者など、彼らが平和だという社会で被害に遭った人や、現実に命を失う恐怖から難民となった人、他者に迷惑をかけない敬虔なイスラム教徒の方々なのではないでしょうか?


平和な社会で、のうのうと生きている人間が、被害にあっている弱者を思いやらずに、誰が思いやるのか?


それは、言論の自由を訴える者の義務であり、義務を満たした上で認められる権利である・・・権利とは義務を満たして認められるものだということを忘れてはならぬと思います。