今朝の「僕らの時代」を見ていて、ハッとさせられた。
道徳教育が必要だと、私も思っていたのですが、教育として行われる道徳は、およその子供達は結論を知っているという話し
つまり、やって良いこと悪いことを教える道徳教育では、およその子供達はその良し悪しを知っているということで、何を、どのように教えるのかが問題だということ。
確かに、モラル崩壊が叫ばれる中で、筆記テストを行えば、日本の教育レベルであるなら、大半の人は正解を答えるだろうことは推測できるわけで、モラルを壊している人間は、モラルを知った上で破壊しているということだもんね。
知らないならば教えれば良いが、知った上での確信犯には教育では無理だよね。
実際、いじめが問題になった大津中学は、道徳教育のモデル実験校だったようですし、道徳教育でいじめが無くなるというのは、人の心には悪が無いと言う前提でしか成立し得ない・・・性善説や性悪説では人を表現しきれず、性弱説という言葉が人を表せる言葉ではないかという意見
確かに、人の心には悪の部分が有り、それを理性が抑えている結果、良い人でいられるが、人のには持って生まれた弱さがあり、それが人を時としてダークサイドに引き込んでしまう。
嘘は悪いことだと教える道徳教育ではなく、本当に嘘は悪なのか?どのような時につく嘘は許されるのか?結論の出ない討論で、自分が考えるということが必要だというのも頷ける。
やはり、全ての物事に完全は無いということか・・・。
人が国を作り、国が人を守る・・・その原則も、人によって捉え方が違うから、争点いなり、まとまらないから多数決というのが民主主義
そう、民主主義は、意見が一つにまとまらないから生まれた制度だということも、道徳で教えなければならないのだろうな。