昨晩、三鷹のストーカー殺人事件で高裁が一審判決を破棄、審理差し戻しというニュースが報道されていました。


具体名を上げるのことは適当でないのかも知れませんが、フジテレビの安藤優子キャスターが、一般心情とかけ離れているというような一声で、ニュースを伝えていたのですが、この問題は感情論で片付けて良い簡単な問題でないはずなのに、それを感情を引きやすい方向に持ち込もうとするのは如何なものかと思いました。


感情的には、遺族の思い、犯人憎し、敵討ちを求める・・・様々な思いがあり、その、どれもが犯人に同情をよせるものでは無いことは、私自身も同様に思っています。


そして、遺族から出された、判決は軽過ぎるて重く処罰されていると思えないのに、判決破棄は不当とのコメント


お気持ちは察するにあまりあるのですが、フジテレビの報道と一緒で論点がズレていると思うのです。


判決要旨を読み込んだわけではないので、推測も多分に含まれるのを承知しいて欲しいのですが、裁判の制度上の問題・・・ようはルールに従っていないから、もう一度考え直す必要があるということなのだと思います


もし、これが軽い犯罪であったとしましょう。


本来の罪について、有罪と決めて量刑を考える時に、裁判の対象になっていない罪、つまり有罪の判定受けていない罪のの量刑を加えて、懲役や罰金を決めても、相手が犯罪者だからとか、心証が悪いからとかで許されると思いますか?


高裁は、リベンジポルノを量刑の対象にするためには、名誉毀損で有罪判決が出なければならず、それに対して有罪無罪の判定が行われていないのに、量刑に含まれているのが不当だと言っているのです。


裁判とは、良い人も悪い人も対象になるものですから、厳格なルールのもとに遂行されなければ、統治者が気に入らないから有罪などの、中世に見られるようなものなってしまいます。


そして、建前上は私的復讐の禁止を謳うことで、、敵討ちという殺人の連鎖を止めるという事を大義名分しています。


ルールで縛らなければ、憎しみの連鎖が殺戮の連鎖を生むのは、今のテロや戦争を見れば明らかですから、それを少しでも食い止めようとしているのが、刑法であり裁判なのです。


その本質を報道せず、人に伝えずに感情論に走ることは、結果、テロを肯定することに繋がりかねないということを理解すべきです。


一般人や遺族が、敵討ちを願っても、行動に起こさなければ殺戮の連鎖は止まりますが、敵討ちを大義名分に殺し合いをしているのが戦争であり、テロだということが理解出来れば、その部分を必要以上に感情に訴えることが危険であることは御理解頂けると思います。