イスラム国の日本人人質事件で「自己責任」について論議が起こっています。


私個人の考え方ですが、自己責任というのは自分の意思で行った行為で自分に返ってくるものは、良いも悪いも含めて、自分で決定したのだから、自分で責任をとるということ。


つまりは、自分が選択した行為は自分の自由であり、それによって自分に跳ね返ってくるものを、自身で処理することが義務となる、そのような権利義務関係が成立すると思っています。


ただし、それはあくまで個人レベルの話であり、例えば、雪山登山に行ったのは自己責任だから、本人は自分で何とかしようとするが救助を求めて来た時に、自己責任だから自分で何とかしなさい、出来なければ死になさい。覚悟して行ったのでしょ?


これで、成立させてしまって良いかというのは別問題ではないでしょうか?


原則、自己責任だが国民を守るべき立場、子供を守るべき立場の人間、即ち、国家、親、雇用主などは、自己責任だからと無視は出来ない・・・それが、民主主義の中で少数意見を汲み取ったりするのと同様、自己責任の例外となる部分なのだと思います。


問題は、制度上、どこまでやるのかという話で、当事者でもない我々が自己責任だから見殺しにすれば良いじゃないと言うのは違うのではないかと思っています。


少なくとも、自己責任であるから最悪の状態になるのは覚悟していてね、でも、助けられるようなら、出来る限りのことはするよ。


これが、本来の自助、共助、公助という社会の形だと思うのです。


私が、二十歳前の若い頃、とある危険な職業に就いていたときの先輩の教えですが


「俺が事故に巻き込まれても、俺を助けようとせず、助けを求めに行け。お前の腕じゃ、二人で死ぬだけだから。」

「お前が、事故に巻き込まれた時、助けられるか判断して出来ないと思ったら、置いていくから恨むなよ。この商売を選んだのは自分の責任だからな。」

「それから、命は数で数えろ。誰のじゃなくて、単純に数で数えて失う命の少ない方法を選ぶんだ。いいか、誰を助けるかじゃなくて、失う命が少ない方法を選択するんだ。それが、自分の命だとしても、助かる命が多い方法を選ぶのが、おの商売の決まりだからな。」


私は、今も、この言葉を胸に刻んでいます。


ですから、私にとっての自己責任とは、見捨てられても恨まないことであって、助けない事ではないということなのです。


他人にかけた迷惑は、謝って、自分に出来る限りの恩返しをするしか出来ませんが、出来ることをやるしか、人には出来ないと思うのです。


アホなマスコミさん!


誰が責任を取るとか、そういうこじゃないんだと思うよ。


自己責任だから、本人も関係者も全ての結果を黙って受入れることが責任をとるということじゃないのかな?


助けられないから政府が無能とか、身代金を払うのかどうかとか、あなた方が気にすることではないでしょ?


助ける方法を思いつく限り行って、交渉できると記者会見を開いている人は、テレビに映っている前に交渉して会話の出来るルートを開けば良いのじゃない?


頼まれないからやらない?


出来るかどうか分らないと思われているから、頼まれないのでしょ?


交渉で窓口が出来たとなれば、政府だって依頼すると思いますけど、個人レベルで何とかなるのなら、助けに行った人が捕まることもないような気がします。