「特攻は美しいことではなく二度とあってはいけないこと」


女優大竹しのぶさんの発言です。


その通りなのですが、発言全文を読むと


特攻隊の人達は自分が死ぬことで(戦争を)やめてくれ、という思いだったと思う。

安倍総理は御霊をねぎらうのがなぜいけないのですかということを仰っていた。

しかし特攻は美しいことではなく、残酷で二度とあってはいけないこと。

それをもっともっと知らせることのほうが大切なのではないでしょうか?


この発言、もっとものように聞こえますが論理的ではないですね。


まず、自分達が死ぬことで戦争をやめてくれという思いだったという解釈が正しいとする論拠は?少なくとも私が得た知識の中では、自分の死が国を守る、それが家族を守るという思いで志願した方が多数なのではないでしょうか?


戦争という極限の異常事態の中ですが自らの命をかけて敵に攻撃をしかける行為が戦争を止めてくれという意思表示に結びつくのでしょうか?


戦争が無ければ死なずに済んだというなら分りますが、相手に攻撃を仕掛けて戦争が終わると考える人間が、それほど多いとは思えません。


つまり、戦争を止めて欲しいという思いはあれど、自分が死ぬことで戦争を止めてくれというよりは、自分の死をもって敵に打撃を与え戦争の終結に結びつけ家族を守るという思いであったと考える方が事実に近いのではないかと考えます。


そして、国を家族を守ろうとして亡くなった方に礼節を尽くすことと、特攻隊を美化することが同じなのでしょうか?


更に言えば、靖国に祀られているのは特攻で亡くなった方だけではなく、戦争で犠牲になった多くの方であり、国際問題となっているのもA級戦犯の合祀が中心で、戦争犠牲者を慰霊することが問題視されているわけでははずです。


つまり、御霊をねぎらうことと、特攻を美化することは別問題であるということです。


私は、特攻を美化するつもりはありませんし、靖国参拝を否定はしませんが靖国を詣でた時に戦争を悲劇的に伝えるというよりは活躍を美化しているように感じたので違和感を覚えた一人です。


ですが、国や家族を守る為との思いで亡くなった人達をねぎらい礼節をつくすのは人として必要な行動であると思います。


靖国参拝と反戦教育は別の話であり、靖国に参拝することが戦争を肯定しているというのは論拠の無い感情論でしかありません。


また、特攻や沖縄戦の悲劇、被爆など戦争の残酷な現実を知らせることと御霊をねぎらうことを相反するものでは無く、両立出来るもののはずです。


御霊をねぎらうことより、戦争の悲劇を知らせることの方が大事という、この発言は、戦争犠牲者をねぎらうことより、戦争の悲劇を知らせようという、実は戦争犠牲者をないがしろにして戦争の悲劇を伝えようという大きな矛盾をはらんでいるのです。


私は戦争は人を殺すという犯罪行為を正義としてしまう行為だと思っています。


しかし、そこには自分の家族を守りたいから国を守りたいという思いがつまっていて、行為は許すことができないが、その思いは美しくもあるというのが問題なのです。


これは、一政治家の行動を揶揄するために使って良い内容のものではなく、その本質を国民全体、学校教育の中で真剣に考えなければならない重要な問題であると捉えて欲しいと思います。