災害で避難誘導した人自身も亡くなっているような時、避難誘導が悪かったと問うことは正しいのかな?
その人自身も、その時、それが最善だと思い行動した結果、誘導した人も誘導された人も亡くなってしまった。
誘導された人が大人か子供かによっても大きく分かれることではあると思いますが、緊急時の避難を後から責めることで何が残るのだろう?
検証と反省は絶対に必要だし、多くの命の犠牲の上に教訓が生まれているということからも無視してはいけないこと。
でも、亡くなった人までも責めて得られるものは何なのだろう?
お金のためでは無く、真実を詳らかにしたいだけと聞きますが、裁判で真実と認定されたり、第三者機関による検証が出ても、それを真実だと認めようとしない人達は、何ならば真実と認めるのだろうか?
こんなことを書くと、お前は当事者じゃないから、そんなことが言えるのだと言われそうだが、後から責めている人達も、その場にいたわけでは無いのだから当事者とは言えないのではないか?
緊迫した状況の中、数秒の判断で生死が決まってしまうという時に下された判断を、後から冷静に追求することはフェアではない気がする。
この一月、書こうか書くまいか悩んでいたのは、このこと。
私は、多分、家族が犠牲になっても訴訟をするようなことは無い気がする。
自分が生死を分ける思いをした経験から思うことは、助かる者は助かるし助からない者助からないという事実。
助かる者は、避難できる場所にいるし、救ってくれる能力のある人とも出会えるものなのだという悲しい現実。
人が生きているのは紙一重の差でしかなく、数㎝の違いが生死を分けてしまう。
だから、恐らく失った者は返らないのだと思い諦めてしまうと思うのです。
感情的な恨み辛みは、持っていても多分その現場にいて、憎しみをぶつける相手、危害を加える相手を目の前にしたとき以外は諦めてしまうような気がします。
家族に危害を加える人間が目の前にいたら、犯罪者になることを覚悟して向かっていくとは思うのですけどね。