当事者でなければ分らないと一蹴されてしまうことは多々あります。
自分が当事者となった時にどうか?と、考えることしかできないのですが疑問を感じてしまうこと・・・不謹慎と言われるかも知れませんが、災害や医療過誤の訴訟。
確かに判決の要旨を読んでみて、これは無しだろうと思うことはあるのですが、それと同じ位、これを訴訟にしても良いのかと疑問を感じることがあります。
例えば、医療過誤の訴訟で医師に過失無しと判決が出たもので、治療時点で医師が最善を尽くしたが技量や見識が及ばなかったケースや、予想や想定が出来なかったケース。
具体例を挙げると問題が多いと思うので敢えて明記しませんが、産科医や小児科医の減少の一つとなっている医療訴訟で、家族としては諦めきれないと理解は出来るのですが、医師にもレベルがあり全てが一流でもなければ、最初から一流の医師もいない。
その中で一流の医師に当たるか、そうでない医師に当たるかは、緊急時においては運命としか言えない部分もあるのではないでしょうか?
そして、このような訴訟の勝敗は、何を残すのか?
真実を明らかにしたいという大義名分を良く耳にしますが、結果が出た時にそれを納得している姿をみることは、あまり無いような気がします。
第三者が見聞して、新たな情報が得られなかった、望む結果が得られなかったとして、それが事実、真実だとは認めないし認められないのだと思います。
だとしたら、何が目的の訴訟なのか?結果的に、医師を萎縮させ新たな挑戦への道を狭くし、また、一か八かの成功の可能性の低い医療行為は行わないようになることで、救われるかも知れない命が減ること。
その弊害に見合うだけのものを得られるのか?
裁判官が補足として、このような訴訟が医療の萎縮を招いていると述べるような訴訟を事前に回避するような、訴訟前の有識者による審査などを考えなければならないのではないでしょうか?
訴訟までになると、モンスター何とかと呼ばれることは少ないように思いますが、自分の事だけを考えて理不尽な訴えを起こしている人に対する抑制を検討しなくてはならないくらい、モラルが崩壊している現状を憂いています。