今朝のスポーツ新聞やネットのニュースで「女優の佳那晃子さんがくも膜下出血で脳死宣告」の見出し。
内容を読むと、医師から重度のくも膜下出血で脳死か、良くてもフラットな植物状態と宣告されたとのこと。
これって、脳死宣告なの?
悪ければ脳死、良くても植物状態という診断であって、脳死が決定し宣告された訳ではないですよね?
これだと脳死を回復する可能性があると誤解を与えることになりませんか?
医学界の定説として脳死は不可逆的な死であると判断され、世界的には脳死を人の死とする国が増えている中で、脳死の宣告と脳死の可能性がある宣告を同義語のように扱うマスコミの認識の低さが、一般市民に与える影響を問題視するべきではないのだろうか?
脳死が回復の可能性があると考えるのと、回復の可能性が無いと考えるのでは、おのずと結論に違いが出て来る。
脳死を論ずるならば、脳死は回復の可能性が無いとの前提にたち、宗教観や家族の心情、理解などで賛成か反対かを論ずるべきなのに、その前提を覆し兼ねない報道、脳死を死とするかどうかではなく、脳死という言葉の扱いを間違っていると、政府や医師会は指摘し抗議をするべきなのではないだろうか?
ここで抗議をすると、脳死推進論者と決めつけられてしまうのか?
原発を即時停止と言わないと、原発肯定論者と決めつけられるのと同じ構図が存在するということか。
議論すら、まともに出来ない国家である日本には、秘密保持法などあっても無意味なのかもしれませんね。
秘密にされていることを真実かどうかに拘わらず、推測だと言って皆が流せば、聞いている人は真実だと思ってしまう現状に、秘密保持法は言論の自由を阻害するとかブログで綴る芸能人は、現状のマスコミに対する対策を明確に示すべきではないのか?
珍しく、朝から憤慨している、なかじーでした。